ねこのの。

 

2章:十六夜

   

2-1 送盆

「……頼って、欲しいにゃん……」

 その呟きを聞いた晩から、早くも幾日かが過ぎた。
 あの晩、いつもと違う雰囲気だったはるねぇ。だが一晩明けてみると、はるねぇはいつものはるねぇだった。――――あの事は、半分沈んだ意識が作り出した幻だったのかもしれない。
 毎日が、にぎやかで、ドタバタとしていた。
 干してある干瓢(かんぴょう)に戯れるはるねぇがいた。おやつの『雪見大福』にじゃれ付いてしまい、食べ損なう(溶けてしまった)はるねぇがいた。僕を誘って、親友とか言う人と水遊びをするはるねぇがいた。
 ――親友だとか言う人は、“人間”だった。『神明みのり』さんと言い、髪が長くて、その……きれいな人だった。その白いドレス姿に、思わず赤面してしまった僕のことを見て、なにやら頬を膨らませるはるねぇがいた。
 本当に、にぎやかで、ドタバタとしていて、それでいて落ち着けるような、そんな日々が続いていた。

 家の手伝いも、割りと進んでやるようになった。――――とはいっても、おこづかいが目的ではあるので、あまり偉そうに言えたものではない。
 最近は、干瓢作りにはまっている。
  ――夕顔の実が薄く剥かれる瞬間の、あの音。
  ――薄く剥かれた実が飛び出て行く、あの様子。
  ――剥かれた夕顔の実の白さ、ろくろで回した陶磁器のように、形がどんどん変わっていく夕顔の実。
 作業的には、いたってシンプルである。“ふくべ”に夕顔のみをセットし、回転させ、備え付けの“かんな”の様な物を夕顔の実に近づけ、薄く剥いていく。ただ、それだけ。
 だが、そのシンプルさが妙に楽しいのだ。シンプルであるが故に、中々奥が深い。奥が深い故に、ついはまってしまう。……それに、たま〜に、はるねぇがついじゃれてしまう姿も見れるという、おまけもある。
 楽しく、充実した時間が過ごせて、なおかつ、お小遣いまでもらえる。おまけもたまにある。……これこそ、一石三鳥という物ではないだろうか。うん。


 休耕田を走り回るはるねぇがいた。谷倉山ではるねぇと星を眺めた。木の上から降りられなくなってしまったはるねぇがいた。
 スクール水着のはるねぇが、少し眩しかった。……尻尾の部分が気になってしまい、思わず水着のお尻の部分を凝視しそうになり、赤面もした。昼寝中のはるねぇの頬をつついてみたら、あっと思う間も無く投げ飛ばされてしまっていた事もあった。
 はるねぇは、いつも楽しそうに笑っていた。そんなはるねぇと一緒にいて楽しかった。だから、いつの間にか、僕は両親の事を、そして東京に帰ることを、考えなくなっていた。

 ――――詩穂さんの言うとおりに、僕はこの土の世界に、少しずつではあるが、慣れ始めていた。少しずつ……でも、確かに。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――

 星野の家に来て、一ヶ月が経過した。――お盆の明け、送り盆の日。
 ここ三日間に渡り、沢山の知らない親戚が和泉家を訪れ、線香をあげて行った。線香の匂いがあちこちに漂っている中、一家全員が対応に追われていた。
 ――もとい、はるねぇ以外は、だ。はるねぇは、“線香の匂いが駄目”、“他人に奇異の目で見られたくない”の2つの理由から、主に家族の用事だけをこなしていた。
 なるほど、毎年のようにお盆には両親とともに星野へとやってきてはいたが、はるねぇを見かけたことが無かった訳だ。……それに、確かに、他人の視線は、痛いものがある。
 僕が知らない親戚だとはいえ、中にはやっぱり僕の事情を知っている人もいる訳で……そういう人の、なんと言うか『可哀想に』というような、哀れんだような感じで見られるのには、正直、堪えた。
 このところ感じることのなかった感情が、心の奥底で揺り動かされ、少し辛かった。

 来客が帰った後の仏間。盛大にわめいている蝉の声を聞きながら、僕は一人っきりで座っていた。ただ、ぼんやりと仏壇を眺めながら、取り止めのないことを、考えていた。
 ――――『結城君。今、この家にはご先祖様が、そして結城君のお父さんとお母さんがいるんだ』――――
 お祖父さんから聞かされた言葉は迷信に感じられた。感じられたが、今こうして、僕は仏壇を眺めている。
「………………」
 お盆は故人を迎える儀式。――この空間にいるらしい両親。――――去年までは手を伸ばせば触れられる存在として、確かな存在として、僕の隣にいた。お父さんお母さんと一緒に、この仏壇にいのりを捧げていた。
 でも今年は、違う。今年は、両親を感じることが出来ない。もし、本当にこの空間にいるのなら、今すぐに戻ってきてくれればいいのに。僕をこんな田舎に置き去りにしないで、迎えに来てくれればいいのに。
 既に両親が死んで、一ヶ月が経った。そんなことは無理だと理解している。理解はしているが、……それでも想わずにはいられない。
 星野での生活には、慣れてきた。それでも、結局のところ……寂しかった。
「……っ」
 寂しさを自覚したとたん、胸が軋んだ。思わず涙が浮かび、――――流れる。
「ゆ〜にゃん! 水羊羹作ったんだけど食べ……」
 そんな最悪のタイミングに掛かった声。反射的に振り向く。直後、振り向くんじゃなかった、と後悔する。はるねぇの表情が固まっていた。
「……ゆーにゃん……泣いて…た…にゃ……?」
 背を向け、涙を大急ぎで拭う。蝉の声が、やけに耳につく。
「……泣いてない」
「………ゆーにゃん………」
 はるねぇがテーブルにお盆を置き、後ろに座ったような気配がした。
「……帰れよ」
「……………」
 肩に、はるねぇの手がそっと置かれた。
 それはまるで、『私もその気持ち分かるよ』と言っているようで。
 それはまるで、見知らぬ親戚と同じように哀れまれているようで。

 ――― 思わず

 ――――――― はるねぇの手を

 振り払っていた ―――――――。

 振り払った左手は勢いあまって、はるねぇの頬をも叩いていた。
 瞬間、頭が“かー”っとなってしまい、何がなんだか分からなくなる。恥ずかしさが全て怒りに変換されてしまう。言葉に歯止めが効かない。
「いい加減にしろよ! いっつもいっつもくっつき回って! 一人にさせろよ! お姉さんぶるのもいい加減にしろよ!」
「………ぇ………?」
 丸く見開いたはるねぇの目に涙が浮かぶ。その悲しげな表情に、罪悪感が少しだけ浮かんだ。しかしそれでも、このモヤモヤを誰かにぶつけたくて仕方がなかった。
「死んだのは俺の親だろ!? はるねぇには関係ないだろ!? もう放っておいてくれよ!」
「ゆ・ゆーにゃん……? な・何でそういう事……いうにゃん……?」
 ネコみみが、力なく垂れ下がる。目から涙が、ぽろぽろと落ちていく。
「……か・関係なくにゃいもん……。私、ゆーにゃんのお姉さんだから……」
「そんなの、誰が頼んだんだよ!? “人猫”のくせに!!」
「っ…………」
 瞬間、世界が止まった。はるねぇが息を飲んで、涙で一杯の根で、僕の目を悲しげに睨んで。

 ―――――――――― そして ――――――――――

 ぽむっ。
 弱々しい平手打ちが、僕の頬に叩きつけられた。
「……っ、にゃうっ……」
 ぽむっ、ぽむっ。
 弱々しい猫パンチが、僕の頬に叩きつけられた。
「……っ、にゃうっ……ゆーちゃんの、ばかぁぁ……!」
 はるねえは、逃げるように走り去り、開け放してある縁側から庭へと飛び出していった。庭の垣根をくぐり抜け、あっという間にどこかへ行ってしまった。
 僕はそれを、頬を押さえ、唖然としながら見つめていた。
 
 世界が動き出す。蝉の大合唱が耳に届く。そして柱時計の音が響く。
 ―――――やっぱりこの音は、苦手だ。僕はまとまらない頭で、そんな事を、ぼんやりと思っていた。

  

  

2-2 喧嘩

 その夜、僕は車が一台も走っていない道路を、自転車で走っていた。

 昼間、部屋を飛び出していったはるねぇは、夕食の時間が過ぎても、戻ってくることはなかった。なんとなく、沈んだ雰囲気の食卓。僕は夕食を食べ終わるとすぐ、自分の部屋に逃げ込んだ。
 頭は、とっくに冷えていた。はるねぇがどこでどうしているのかが、すごく気になった。心配した。でも、八つ当たりをしてしまったことの気恥ずかしさが、それらの感情をも上回っていた。
 結局、僕は何も出来ないでいた。
「……くそっ」
 なんとなく落ち着かない。手近にあった漫画を開いてみるものの、何度も読んだギャグシーンでは、気晴らしにすらならない。
「……結城君、いいかね?」
 お祖父さんの声がした。もちろん、拒む理由はない。
「―――――どうぞ」
 目的は、なんとなく分かった。けれど、素直になりきれない、自分がいた。
「『ゆーちゃんが誤るまでは、絶対に帰らない』と言っているらしい」
 僕と並んで座ったお祖父さんは、開口一番、そう言った。
「…………」
「神明さんのお嬢ちゃんが教えてくれたんだ」
(――――そうか。神明さんの所なら、心配ない。)それを聞いた僕は、内心、ほっとした。
 そんな僕の様子を見て、お祖父さんは目を細めるだけだった。それっきり、何もしゃべろうとはしなかった。
 ただただ、沈黙するだけだった。
 別段、何かしらを言われた訳でもない。睨まれているわけでもない。それなのに、まるで説教でも受けているかのような無言の圧力を、ひたすらに感じていた。
 その五分後。根負けしたのは、僕だった。
「……はるねぇは、何で、あんなに僕をかまうんですか?」

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――


 そして、今、僕は車が一台も走っていない道路を、自転車で走っていた。――――もちろん、目的地は神明さんの家。
 お祖父さんと、色々と話した。痛烈な、皮肉も言った。それに対し、お祖父さんは、「家族として対等に扱わないと、結城君にも失礼だな」と答えてくた。
 そして、「家族らしくいこう」と言って、笑顔で、全力の拳骨をくれた。その衝撃は、いまだウジウジとしていたつまらないプライドを、完膚なきまで叩きのめしてくれた。
 そして、今、僕は痛む頬を気にしながら自転車を走らせている。――――目的地に向けて、ただひたすらに。

 夏の夜の空気を心地よく感じる暇もなく、神明さんの家へ到着した。自転車を降り、息を整え、チャイムを押す。――――ドキドキしているのは、自転車をこいで来たせいだと、思いたい。
「はいはーい」
 玄関から現れたのは、神明さんだった。いつぞやのワンピースが、少し眩しかった。
「おー。今晩は、結城君。来るの遅いよー?」
「……すみません。色々、ありまして……」
「色々、ねぇ……」
 思わせぶりに、ニヤニヤとする神明さん。以前にも思ったことだが、やっぱり、全てを見透かされているような気がしてならない。
「ちょっとまってね。……はるねぇーー! 弟君が迎えに来たよーー!」
 二階に向かって叫ぶ神明さん。間髪をいれず、はるねぇの声が返ってくる。
「嫌にゃーー! か・え・ら・にゃ・いーー!!」
「ちっちゃい子じゃないんだから、とっとと帰れー!」
「やーにゃーー!」
「なら、私が一緒に帰るぞー!!」
「やにゃのはやにゃのーー!!!」
 ……神明さん、何気にとんでもない事を言いませんでしたか? 
「はぁ……。ずーっとあんな感じなんだよね…………。 あー……、とりあえず結城君、外出ようか?」
 神明さんは、物凄く疲れた顔でサンダルを履き始めた。
「どこに行くんです?」
「あー……、とりあえず、はるねぇの目の届かないとこね。――――あぁ、結城君?」
「はい?」
「……だからって、妙な期待したらだめだよ?」
 神明さんは、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。僕は溜息を一つついた。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――

 僕と神明さんは、星野遺跡の近くの星野橋の上で、なんとなく溜息をついた。
 橋の袂に寄りかかる。その下には、永野川がゆったりと流れていた。――――川のせせらぎ、微かな虫の音。夜の静寂が辺りを支配している。
「結城君。ちゃっちゃと謝って、はるねぇを持って帰ってくれないかなー? 邪魔だし」
 僕は、責められるのを覚悟していた。だが、神明さんは予想外の一言を言った。
「いや、邪魔って…」
「だってさ、いきなり私の家へ来て、延々と私の部屋で泣いているんだよ? 『ゆーにゃんがお姉ちゃんなんていらにゃいって言ったー!』とかいってさ。ものすごい邪魔だよー?」
 神明さんは、相変わらず歯に衣を着せない、ストレートな言い方をする人だった。
「すみません……」
「……まぁ、結城君の気持ちも分からない訳でもないんだけどさ。でも、私、はるねぇの気持ちも分かるんだよね」
 神明さんは、静かに、そういった。
「――――まぁ、とにかく、仲良くしてあげてよ。別にはるねぇのこと、嫌いなわけじゃないんでしょ?」
「――――多分」
「まぁ、別にどーでもいいけどね、そんな事。とりあえず、引っ張ってでも転がしてでも連れて帰っちゃってね」
「…………」
 この期に及んで、「はい」の一言が出てこなかった。心に壁を作っていたプライドは、塵となっても“気恥ずかしさ”という山になって残っていた訳だ。

 ふたりのあいだを、しばらくの沈黙が流れた。吹きつける風が優しい。神明さんは、遠くを見ているような眼差しで、夜空を見上げていた。その先には、まるい月が浮かんでいる。

「――――――はるねぇには、『他の人には絶対に言うな』って言われてるんだけど――――」
「はい?」
「…………ううん。やっぱりやめた」
「……そこでやめられたら、余計に気になります」
「ふふっ。――――ねぇ、ゆ〜くん?」
「――――何です?」
 神明さんは空を眺めたまま、静かに話し始めた。
「はるねぇが拾われてきたってのは、知っているよね?」
「はい。立秋さんが何年か前に拾ってきちゃったんですよね?」
「うん、そう。はるねぇは、10歳の頃に立秋さんに拾われたの。――――――ねぇ、この事で、何か気付かない?」
「――――?」
「はるねぇは、“人猫”なのよね」
「……そうですね」
「――――つまり、“究極の愛玩動物”として創られた“人工生命体”なわけよね。それが、10歳のころに、捨てられていた」
「………………」
 神明さんは僕をまっすぐに見詰めて、話し続けた。
「はるねぇだけじゃないよ。――君のクラスにも、何人かの“人猫”がいるでしょう? 皆、捨てられていた人たちばかりなんだよ」
「――――?!」
「“人猫”なんていう珍しいものが、何でこんな田舎に大勢いると思う? 皆、都会の人が捨てていったんだよ」
 神明さんは、衝撃的な事をサラっと言ってのけた。
「最初は、物珍しさから可愛がられていた。――――でも、やがて飽きられ、そして、あまりに“人間”に似すぎているが為に、捨てられてしまう」
 神明さんは、穏やかな声で話続ける。それが、ただ事実を事実として言っているに過ぎないのだと、僕に気付かせる。
「結城君は、『姉なんかいらない』って言った。―――――― 一度捨てられて、独りぼっちになってしまった事のある、あの子に」
「……………………。」
「確かに、両親が突然死んでしまえば、辛いと思う。私なんかが想像も出来ないぐらいに。でも、死んでいなくなってしまうのと、捨てられていなくなってしまうのと。どっちが、辛いんだろうね」
「………………」
「……どっちが、なんて比べちゃいけないんだろうけどね、本当は」
 神明さんは、少しだけ寂しそうに、微笑んだ。
「まぁ、結城君がどうするのかは結城君が選べばいいんだけど、ね。――――私としては、はるねぇをお姉さんとして認めてくれると、楽だよ」
「……はい。 ……正直、姉らしくない姉なんですけどね」
 この言葉に、神明さんは満面の笑みで答えた。
「どんまい」

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――

 今日二度目の神明さんの家。そこにははるねぇが、僕を待って立っていた。
「…………」
「…………」
 お互い、気まずいままに、沈黙が続く。
「…………………」
「…………………」
 このままではラチがあかない。――――第一、悪かったのは僕なのだ。ここはやっぱり僕から声を掛けるべきだ。
「……ごめん」
「…うにゃ!」
 ばかばかしいくらいに単純な和解は、一秒で終わった。

 はるねぇの泣き腫らして赤くなった目が、強く胸に刺さった。

  

  

2-3 約束

 神明さんの家からの帰り道。僕とはるねぇは、並んで歩いていた。なんとなく自転車は使いたくなかったから、神明さんのところにおいてきている。
(明日、自転車をとりにいかないとな)そんなことを考えていたら、はるねぇが突然足を止めた。僅かに遅れて立ち止まり、追い抜いてしまったはるねぇを振り返る。
「…………ねえ、ゆーちゃん」
「……ん?」
 はるねぇは、なにやら言い辛そうにしていた。何を言おうとしているのかは分からないが、僕は静かに待っていた。
「今日は、色々と……その……ごめんにゃさい」
「いや、そんな。むしろ謝らなければならないのは、こっちだって。……今日はゴメン。八つ当たりして。辛いのは、自分一人だけじゃないのにな」
「………………」
「本当、ゴメンな。誰だって、辛そうにしている人を見ていたら辛くなるよな。――――そんなことにすら気付かなかったなんて、やっぱまだまだガキだったって事だよな」
「………………ねえ、ゆーちゃん?」
「……うん?」
「……その……みのりから、にゃにか聞いた?」
「何かって?」
「ううん、にゃ・にゃんでもにゃい!」
 慌てたように、歩き出すはるねぇ。僕は少々後ろを歩きながら、神明さんが「『他の人には絶対に言うな』って言われてるんだけど――――」といっていたのを思い出す。
 ――――隠さないで、正直に話したほうがいいだろうな。
「……はるねぇが……クラスメートの“人猫”が、『捨てられてた』ってのは、聞いた」
「………………」
「……今まで、そんなこと、考えもしてなかった。いや、はるねぇが『拾われてきた』ってのは知っていたけど、それが『捨てられてた』ってのには正直結び付けてなかった」
「ねえ、ゆーちゃん、――――私、今、本当に幸せにゃんだよ?」
「うん。……多分、クラスメートのやつらも、今は本当に幸せなんだと思う。それぐらいは分かってるつもり。」
 はるねぇを追いかけ、横に並ぶ。
「みんな、それぞれに辛いことを経験しているのに、今は幸せだと笑っている。幸せを感じることが出来る。はるねぇにだって出来たんだから、俺にだって、出来るよな」
「うん……そうにゃ…って、『はるねぇにだって』って、どういうことかにゃ〜?」
「さ・て・ね」
「うぅ〜。 ゆーちゃん、いじわるにゃ〜〜」
 ひとしきり笑いあった後、どちらからともなく足を止める。そして、向かい合う。――――はるねぇが、一歩近づく。

 世界が、はるねぇを中心にして、拡がっていく。虫の音。風の音。木々のざわめき、草ずれの音。……星の瞬く音ですら、聞こえるような気がした。

 そして、そっと、両手を握られる。急速に収束する世界。心臓の音が、やけにうるさい。

「ねぇ、ゆーちゃん」
「…………ん」
「約束、するにゃん」
「……約 束?」
「うん。約束」
 はるねぇが更に一歩近づく。お互いが重なり合うまで、後一歩。はるねぇが何を言おうとしているのかを読み取ろうと、必死に唇の動きを見つめる。
「……“二人は、仲のいい姉弟ににゃります”って」
「……ん」
「――――準備、いい?」
「―――――― 何が?」
「ゆーちゃんのお父さんとお母さんに、約束する準備にゃ。……今日はお盆にゃんだよ? 二人とも、今、此処にいるんだにゃん」
「…………ん」
「へへへー。 それじゃあ、ゆーにゃんのお父さんお母さん、二人はとってもとーっても、仲のいい姉弟になるにゃん。どうか、見守っててくださいにゃ」
 満面の笑顔でそういったはるねぇの顔を見て、やっぱり、はるねぇはこうでなきゃ、と思った。
 はるねぇに涙は似合わない。もう絶対に、はるねぇを泣かせたりはしない。そう心に誓った。
「……なるにゃん?」
 黙ったままだった僕の顔を心配そうに眺めながら、はるねぇは首を傾けた。
「……ん」
「返事はハイかイイエだけにゃ!」
「はいはい。」
「ハイは1回!」
「……ぷっ」
「にゃんでここで笑うかにゃ〜?!」
「いや、だって、はるねぇが。」
「……私が?」
「姉さんに、見える」
「見・え・る じゃにゃくて、ほんとうに、姉さんにゃの!!」
「あははははは」
「……えへへへ」
 ひとしきり笑いあった後、二人で空を見上げる。8月16日。見上げた視線の先、限りなく拡がる星空には、大きなまるい月が浮かんでいた。
 十六夜(いざよい)の月。フルムーンを少しだけ過ぎた月。既望の月。“既望”を“希望”に置き換え、願う。
「……仲良く…な」
「……にゃん」

 ――――――あそこに、両親はいるのかもしれない――――――。僕は月を見上げながら、ふと、そんな事を思った。