まゆきの。

   

ある、バーの風景

  

「マスター、おかわり! 『いつもの』を頂戴!」

 間接照明に彩られた店内に、彼女の声が響く。それと共に、カウンターをバンバンと叩く音も、響き渡る。
 それらは、店内に広がっていた甘く切ない歌声を、一時消し去ってしまうほどの音量を持っていた。
 幸いなことに、彼女のその行動に眉をひそめる輩は、誰一人としていなかった。
 ――――――なぜなら、彼女以外にはもう客は誰もいなかったのだから。
 終電などとうに終わってしまっている、月末の深夜。
 月末とはいえ、今日は週の中日でもあるので、殆どの客は、終電の時間と共に、去っていっていた。
 ――――もっとも、彼女のように、終電が終わってからやってくる客もいる。
 だが、今日は彼女と入れ違いになるようにして、帰った後だった。

「……どうぞ」
 差し出したのは『アフロディテ』。彼女が頼むものは、順番が大体決まっている。これは、彼女がいつも三杯目に頼むカクテルだ。
 ちなみに、一杯目はこの店オリジナルの『花霞』。桜リキュールをベースにした、当店自慢の一品だ。
 ついで、『ビショップ』、『アフロディテ』と続く。……ここまでは、いい。問題は、ここからだ。
 ――――――次に頼むもので、今日の彼女の機嫌がわかる。
 次が『キスール』なら、『アンジェロ』、『アブドゥーグ』と続き、『カルーア・ミルク』で〆。
 この場合は、楽しい話題が続く。めがね先輩や、既婚者、上司、頼ってくる後輩など、惚気っぽい話も出たりする。
 だが、次が『ブラッディー・メアリー』なら、『パナシェ』、『キッス・オブ・ファイヤー』、『ジプシー』……とかなり強めのカクテルが続く。
 この場合は、仕事への不満など、少々重苦しい話題なんかが続く。……前回は、確か鰻を食べ損なった話だったと記憶している。
 ――――――次の一品で、自分の役割が、決まる。
 そう思いながら、グラスを手にとる。一点の曇りも見逃さないように、丁寧に、優しく、そして慈しむように、磨いていく。

「マスター、おかわり! 」
 ほどなくして、彼女の声がかかる。
「はい。どちらに致しましょう?」
 ……今日は、愚痴になるのか、惚気になるのか。そんな内心の思いなどはおくびにも出さず、彼女に尋ねる。
 だが、帰ってきた注文は、予想外のものだった。
「そうねぇ……。『スローテキーラ』をお願いしようかしら」
「……かしこまりました」
 予想外の注文だった溜め、少々返事が遅れたものの、手早く準備していく。……テキーラ、スロージン、レモンジュース……。
 それらの材料をシェークし、クラッシュドアイスを詰めたグラスに注ぐ。デコレーションとして、ストローときゅうりのスティックを添える。
「……どうぞ」
 彼女の前へ、そっと置く。その時、彼女の目にうっすらと涙が光っているのに、気がついた。

 店内には、R&Bのリズムに乗って、ハスキーな声の女性シンガーが、「もう一度君に会いたい」とささやいている。
 ……彼女と入れ違いに出て行った客がリクエストした曲だ。
 その歌を聴いているのかいないのか、彼女は焦点の合ってない眼差しで4杯目のカクテルを眺めている。
 やがて、きゅうりのスティックを手に取り、“心此処に在らず”といった様子で、グラスの中に突き刺す。
 氷塊と氷塊、グラスと氷塊がぶつかり、擦れ合い、甘酸っぱい液体の中で独特の音を生み出していく。
 その音は、最初は極ゆっくりと、控えめに響いていた。
 しかし、そのテンポはだんだんと早く、激しくなっていき、やがては何とも言えない、耳障りな音へと変化する。

 そして唐突に、その音が止む。
「…………マスター、悪いんだけど」
 彼女が俯き加減で、そう言った。
「はい。なんでしょう?」
「……『エアショット』も、……頂け…る……かしら」
 いつも強めのカクテルを好む彼女だとは言え、流石に少々行き過ぎの気がした。
「……お出しするのは、かまわないのですが……」
「……大丈夫。飲むわけじゃないから」
 言外に含まれる意味を感じ取ったのだろう。彼女は、僅かに顔を上げ、微かな声で、そう呟いた。
「失礼しました。……出すぎたことを申し上げました」
 彼女の目から、静かに涙が流れているのを見て、急ぎ、注文の品を用意する。
「……お待たせしました。火はご自分で?」
「そうね。……やってもいいかしら?」
「どうぞ。……今夜だけの特別サービス、ということで」
「ありがとう、マスター」
「いえいえ、どう致しまして。っと……少々、失礼致します」

 先の客のリクエストした曲が終わった。かわりに、一枚のCD-Rをセット、ランダム再生にする。
 先ほどの甘く切ない歌声にかわって、静かなピアノの音が流れ出す。
「……マスター、この曲は? この店では珍しい曲ね」
「……私のお気に入りのサントラ集で、この曲は『十六夜月』と申します。……お気に召さなければ、お止め致しますが」
「ふ〜ん。……悪くないわね、こういう雰囲気も」
「ありがとうございます」
 会話のあいだも、彼女は火のついているグラスを眺め続けていた。
 『エアショット』などと洒落た名前が付けられているものの、約98%はアルコールで構成されているそれは、ほの暗い店内で静かに炎を揺らめかせている。
 そのまま会話は途切れ、何曲かが流れていった。自分はグラスを磨いていき、彼女は炎を見続けていた。
 静かに、そして優しく、時間は流れ過ぎていく。

「……先輩がね、六千円分もの飲食店クーポンをくれたの」
 彼女は、その炎を見つめながら、ポツリと、語った。
「今日出社したらね、いきなり、くれたの」
 さっき磨いていたグラスに、クラッシュドアイスを詰め、ミネラルウォーターを注ぐ。そしてレモンを軽く絞る。
「他にも社員の人がいるのに、さ。……何故にピンポイントで私に? とか、思っちゃうよね?」
 デコレーションとして、スライスしたレモンを添え、彼女の前に差し出す。彼女は、「ありがと」と小さく呟いた。
「単にくれるだけにしては、六千円分なんて、ちょっと多すぎよね? だから、色々と考えちゃうじゃない」
 曲が『Last Scene』にかわる。曲調に合わせるかのように、彼女の声にも明るさと張りが出てくる。
「やっぱりさ、“これって遠まわしに一緒に行こうと?”とか、“六千円も貰っては悪いしなぁ”とか、もう、色々と考えちゃったのよ」
 正直、仕事なんか半分上の空だったわ、と彼女は笑った。――――笑っていいながらも、目には涙が溢れそうなほどたまっていた。
「色々考えて、考えて。……『一緒にいきませんか?』って、思い切ってたずねたら……」
 そこまで言うと、彼女はグラスのミネラルウォーターを一気に飲み干して、空のグラスをカウンターに叩きつけた。
「……『素敵な恋人さんと行ってきて下さい』っていって、断られたのよ!」
 ついで、氷が溶けて水っぽくなっている『スローテキーラ』をも一気に飲み干した。そして、空のグラスをカウンターに叩きつける。
「そんな人がいたら、三連休引きこもりなんかしないわよ! その事は先輩だって、知ってるはずなのに!!」
 彼女が、叫ぶ。……いや、吼えるといったほうが正しいかもしれない。
「しかも、『使用期限がギリギリだったりするから、早目に使ったほうがいいよ』って、なに!?」
 カウンターの上で、キャンドル代わりになっていた『エアショット』をも、一気に飲み干す。そして、空のグラスを力任せにカウンターに叩きつける。
「先輩の、バカーーーー!!」
 BGMが『星の降る場所』に変わる中、彼女の咆哮が店の隅々まで響き渡った。それと共に、カウンターをバンバンと叩く音も。
「マスター、おかわり! 『ブラッディー・メアリー』を頂戴!」
「……かしこまりました、少々お待ちを」

 ――――今夜は、長い夜になりそうだと、ひそかに溜息をついたのだった。


  Illustration:杜若 雫さん


あとがき

  

はい。ということで、まゆきの。いかがでしたでしょうか。
この小説は「まゆまゆの日記の二次小説」というコンセプトの下で書かれています。

……ごめんなさい。うそです。

どちらかといえば、絵板の「Got bress me」からの連想です。
まぁ、絵を少し脳内改変してますので、あくまで連想、ということで。

この絵のイメージを勝手に使うことを快く許可してくださった雫さん、大変ありがとうございました。
私の脳内では、このように補完・拡張されましたです。

執筆僅かに一日という、もう勢いでしかない作品ですが、笑ってもらえたら、幸いです。

では、また。                         終わらない仕事の憂さ晴らしに書いた、香月。


まゆきの。2

  

ある、バーの風景:2

  

 夕暮れが夜の帳に覆われるかという時間帯。私は、どうしても誰かに今日の事を話したくて、行きつけのバーのドアを開けた。
 いつものカウンター席にまっすぐに向かい、座るや否や、注文を出す。
「こんばんは、マスター。いつものを頂戴」
「かしこまりました。…………どうぞ」
 程なくして、目の前に淡いピンク色をしたカクテルが差し出された。この店オリジナルのカクテルで、私のお気に入り。
 そのカクテルに手を伸ばそううとした時に、隣から声がかかった。
「それはアタイのだよっ!」
「…………?」
 声のしたほうを見ると、年のころ14・15歳ぐらいだろうか。小っちゃくてかわいらしい女の子がいた。
「…………マスター? この子……」
 言いかけて、頭にネコ耳がついているのに気付く。「未成年なんじゃ」といいかけた言葉を、急遽言い直す。
「……ひょっとして、人猫?」
「はい。…………ここ一月ほどよくお見えになりますので」
「あっ。お客なんだ。…………ふーん」
 そんな会話をしているうちに、その人猫は別のカウンター席の女性客のほうへと寄っていっていた。
「それはアタイのだよっ!」
 ……向こうでも、同じことを言っている。
「……なんですか、貴方?」
 マスターは苦笑をすると、「ちょっと失礼」といって、カウンターを回って客席側へとでてきた。
「アタイかい?アタイは天下の大泥棒の、ちょ、何をするんだいマスター!」
「……カウンターのお客様の迷惑になりますので。こちらのテーブル席でお願いいたします」
 そういうと、マスターはその人猫を優しく抱き上げ、テーブル席のほうへと向き直らせた。
 ……テーブル席のお客になら、迷惑じゃないということなのだろうか……。
 そう思って店内を何気なく見渡すと、いつもとは雰囲気が違っているのが分かった。
 テーブル席にいる人たちは、いつものサラリーマン達ではなく、なにやら難しそうな話をしている。
『同じ普通を持っているのか確認してみたい気もしますけど、言葉にした瞬間それはぼやけてしますから難しいんでしょうね……』
『多人数が同じことを普通と感じる場合は、彼らにとっての普通は考えやすいと思うんですよね』
『感覚的なものだ。絶対の普通は今もなお揺らいでいるに違いない』
『絶対なのに揺らいでるって、なんだか詩的ですね』
『さながら海みたいなものだろうさ。もしくは宇宙線』
 ……どっかの学者さん達か何かかしら。なんか『無の揺らぎ』だとか『ヒモ理論』だとか聞いたこともない単語が……。
「うぅ、マスターが言うなら仕方がにゃいにゃ。今日のところは引いてやるけど、次は容赦しにゃいにゃ!」
「……ヘンな人。折角のジンフィーズが不味くなっちゃうじゃない……」
 全くだ。ここ一月ほどって言うけど、私は今までこんな人を見かけたことがない。……あ、人じゃなくて人猫か。
「お客様は、この時間帯は初めてでしたね?」
 マスターが、そういいながら2杯目のカクテルを差し出してくる。
「えぇ。いつもこんななの?」
「はい。大体月に1・2度は、こんな感じになりますね。……まぁ、この濃いメンバーが集ったのは、今夜が最初ですが」
 ……その“濃い”メンバーの中に自分が含まれるのかが気になるところではあるが……。ま、どうでもいいや、と思い直す。
 そんなことよりも、今日は是非マスターに聞いてもらいたいことがあるんだから……
「ねぇ、マスター?」
「はい、なんでしょう?」
「実はね、今日、シアター1010ってとこで、高校演劇サマーフェスティバルってのがあってね……」


――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――


 夜が更けるにしたがって、場は混沌としていた。

「うにゅ……虐めにゃ。動物虐待にゃ……」
「……また来たの? この猫。……ねぇ、マスター、この猫なんとかして頂戴!」
 向こうのカウンター席では、相変わらず人猫と女性客との掛け合い漫才が続いている。……あの女性、気に入られたみたいね。
「アタイは天下無敵の野良猫にゃ! アタイをなんとかできるのはお天道様くらいにゃ!」
「あら、可愛い猫ですね♪ マスター、マタタビあるんで裏でおとなしくさせておきますか?」
 ……また見たことのない人が湧いたわ。本当、今日はいろんなことがあるわぁ。
「あ、お願いしますね。どうもありがとう。見知らぬ他人だというのに」
「アタイを誰だと思ってるにゃ! マタタビ如きでは釣られにゃいにゃ!」
「ほれほれー、にゃン公ーこっちだぞー」
「シャー! アタイの背後に立つんじゃねぇにゃ! アタイはこの怪しくて事件の匂いがプンプンする輩を監視してるだけにゃ! アタイは悪くにゃいにゃ!」
 あぁ、あっちも楽しそうだなぁ。……でも、私だって、負けてないんだから!
「マスター、『カルーア・ミルク』……は止めて、『エンジェル・キッス』をお願い」
「かしこまりました。……今日はご機嫌ですね?」
「ふふふっ。そりゃぁねぇ。生の、本当に手に届く距離にいる情熱の塊を、あれだけ感じる事が出来たらねぇ」
 思い出すだけでも、まだ興奮が収まらない。
「取材としてだけではなく、自分の製作意識としても、かなり前に進められる一日になるとは思わなかったわ」
「それは、何よりでしたね」
「えぇ。それに、一緒に行った子もかわいい眼鏡娘だったので思わず胸がときめいちゃったし」
「おやおや。ごちそうさまって言うべきでしょうか?」
「やだ、マスターったら。別に『お持ち帰り』したわけじゃないわよ。一緒に甘いケーキなんぞを食べてただけよ」
「おや。それは失礼を……あぁ、少々お待ちください」
 テーブル席のほうから、「マスター、ホットミルクください」と声がかかる。
「マスター! アタイにもホットミルク! もちろん、ツケで!」
 何かと周りの声に反応する人猫ねぇ。……ひょっとして、友達がいなくて寂しいのかしら。
「あら、猫ちゃんもミルク飲むの?」
「猫ちゃん言うな! アタイにはリンクスって立派な名前があるんだい!」
「……いいですけど、いつになったらたまったツケをお支払いいただけるので?」
 マスターも、大変ねぇ。あんなお客にもきちんと対応するんだから。
「あぁ、じゃあ今日の分だけ私が立て替えておくわ。ホットミルクも出してあげて。」
「義賊のアタイには盗んだお金を使うことができにゃいのにゃ」
(義賊って……何かの設定かしら。ひょっとして、演劇の練習だなんてことは……。いや、まさかねぇ)
 そんなことを思いつつ、私は一人、妄想の海を漂い始めた。 
(……あぁ、あの娘ったら、本当、いい声を出していたわぁ。艶っぽくて、熱を帯びてて、ほんと、いい声だったわ)

 なにやら掛け合いじみてきた背後の喧騒を聞き流しつつ、私は一人、妄想の海を漂い続けていた。
 色んなことを話して。色んなことを聞く。――――お互い、何一つ素性を明かすこともなく。
 ここは、そんな場所。

「マスター、『チチ』をお願い!」
「かしこまりました。……少々お待ちください」

 ――――――夜は、まだ、これからだもん。ね、マスター?

  Illustration:杜若 雫さん


あとがき

  

はい。ということで、まゆきの。続編(?)いかがでしたでしょうか。
今回は「まゆまゆサイドの視点」というコンセプトの下で書かれています。

……ごめんなさい。うそです。

なんとなく書き始めたら、こうなっちゃっただけです。執筆4時間ほどの(チャットをやりつつの)結果です。
今回は、絵板の「274」と、某チャットのログからの切り張りです。
私の作品が、そんなのばっかりという突っ込みは、スルーします。
ちゃんと切り張りしてます。そのまんまじゃありません。……だからどうだといわれれば、それまでです。

あの絵のイメージ&チャットの内容を勝手に使ってしまって申し訳ありません。
今回は各人に了承を取ってないのですが、大変ありがとうございました! ってことで。
私の脳内では、このように補完・拡張されましたです。

あいも変わらず、勢いでしかない作品ですが、笑ってもらえたら、幸いです。

では、また。                        某絵師の期待(?)に答えられたのか不安な、香月。


追伸。 某人猫がいきなりすぎて、「なんのこっちゃ」という方へ。
    不肖、「ねこのの。」をご覧ください。
    来週ぐらいには、完全版もUPする予定ですので。

 

 


まゆきの。3

  

 夕暮れが夜の帳に覆われるかという時間帯。私は、どうしても誰かに今日の事を話したくて、行きつけのバーのドアを開けた。
 いつものカウンター席にまっすぐに向かい、座るや否や、注文を出す。
「こんばんは、マスター。いつものを頂戴」
「かしこまりました。…………どうぞ」
 程なくして、目の前に淡いピンク色をしたカクテルが差し出された。この店オリジナルのカクテルで、私のお気に入り。
 そのカクテルに手を伸ばそうとした時に、隣から声がかかった。
「……どうしたにゃ? なんか疲れているようにゃんだにゃ」
「…………まあね」
 声をかけてきたのは、年のころ14・15歳ぐらいの、小っちゃくてかわいらしい女の子。
 ここの従業員で、名前は「リンクス」という……らしい。
 別にマスターの身内が「お手伝い」をしているわけではなく、もちろん児童福祉法違反でもない。
 彼女の頭部には、自前のネコ耳がついている。――――そう、彼女は『人猫』なのだ。
 人猫の解説はメンドイからしない。……ってか、私が造ったわけじゃないんだから、彼女のことは知ったことではない。
 そんなことよりも、今日は是非マスターに聞いてもらいたいことがあるんだから……。
「ねぇ、マスター?」
「はい、なんでしょうか」
「実はね、今日、部長に呼ばれてね……。例の転勤話、無しになっちゃったの」


――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――


 名古屋行きの話が出たのは、そもそも1ヶ月も前のことなのよね。
 そのときは突然の話だったので、それなりに衝撃を受けたんだけど。
 でもね、正直な所を言えば、心底嫌だってわけでもなかったのよ?
 今の職場に勤めて、そろそろ2年よ、2年。景色に飽きたといえば飽きたし。
 関東に25年も住んでたわけで、2年くらいなら別の場所に住むのもいいじゃないかな……なんてね。
 そりゃまぁ、慣れる事は重要だとは思うの。いつまでも慣れなくてまごついているのって、なんかカッコ悪いし。
 でもね、『慣れ』には『刺激が無くなる』というデメリットもあるとおもうのよ。なんていうのかなぁ、意外性がなくて面白味のない恋人、みたいに?
 ……何、マスター。「いたのですか?」って。私にだって……見栄って物もあるの!
 でね。「そろそろ別の職場行きたいなー」とは今年の夏あたりから考えてもいたのよ。職場の方も色々と面倒な事もあったりしてね。
 『こんにゃろ右中指を尻に叩き込むぞ☆』と思いながら、笑顔で「了解しました」と言うシーンもあるのよ。
 ――――こほん。マスター、カクテル、次お願い。
 でね、色々考えて、名古屋転勤、立候補したの。その時は、確定ではないけど9割方確定、って話だったのよ。
 来年の頭に引越し開始、1月半ばには名古屋で仕事。立場は『副主任』って言う具体的な話まで出ていたの。
 一時は向こうでの上司が見つからない、とかも言ってたけど、でも、上司からミーティング時に発表があったし名古屋職場の住所も聞いたの!
 向こうでの部屋も探して来てもいいって言われたたから、2万も出して探しにいったの!!
 営業の仕事として、スーツで名古屋に行って、不動産屋に名刺を渡したの!
 日帰りじゃあいい物件が見つからなかったから、又行ったの! で、見つけたのに!! ――――マスター! 次!!


――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――

  
「ねえ、マスター? 何がいけなかったのかしらねぇ」
「さて。私には分かりかねますが……」
 まぁ、それはそうだとは思うけど。でもね、言わせて欲しいのよ。
「……やっぱり、自分の欠点として『作業が大雑把な所と、仕事に対して熱意がない所』なんて言っちゃってたからかなぁ」
「……それは又、思い切ったことを言いましたね」
「……それとも『自分の価値観として、プライベートより仕事の比重は低いんです』って言ったことかしら」
「どうでしょう? それとこれとは別のような気がしますが」
「……ひょっとして、以前電話があったのを『そぉい!!』って布団にぶん投げたのがバレて……」
「人間って、めんどくさいんだにゃぁ」
 ふと気付くと、膝の上がなにやら重い。
「……ちょっと、何してんの? あなた」
「あなた、じゃなくて、リ ン ク ス にゃ、おばさん」
「……なんですって?」
「あ、『おばかさん』のほうがいいのかにゃ?」
 マスターのくすくすという笑い声が聞こえる。
「マスター〜?」
「これは失礼を。……いやなに、ずいぶんと好かれいるな、と思いまして」
 まぁ、それは私も感じてはいたのだけれども……あぁもう。だからって、人の膝に頬擦りなんかしないでよね。
「何はともあれ、乾杯と行きますか」
 そういってマスターが差し出してきたのは『キスール』。私が機嫌のいいときに頼むカクテルだ。
「マスター〜?」
「おや? 違いますか? なんだかんだといって、別に怒っているのではないですよね? 転勤話も」
「……まあね。確かに、ショックなのはショックなんだけど、結果的には『今までと変わらない』のだから」
「自分が関与しなかった結果として自分に起きた事象に不平を言えるほど、もう青くはないって事ですかね」
「ふふふ。そうね、そうかもしれないわね」
 私は、膝の上のリンクスちゃんの頭をなでながら、静かに微笑んだ。
「さて、では、あなたの輝ける未来と……」
 マスターはそこで一旦言葉を切って、私を見つめる。私も見つめ返しながら、言葉を紡ぐ。
「……未来と?」
「……ままならぬ世の中に」
「ふふ」
「「乾杯」」
 膝のリンクスが、嬉しそうにゴロゴロとのどを鳴らしている。
 BGMが私の好きなピアノ曲に変わる。
 黙っていても、すっと次のカクテルの『アンジェロ』が差し出される。
 ――――うん。明日も頑張れそう。
「マスター、『チチ』をお願い!」
「かしこまりました。……少々お待ちください」

 ――――――夜は、まだ、これからだもん。ね、マスター?

 

 


あとがき

  

はい。ということで、突発まゆきの。いかがでしたでしょうか。
今回は「まゆまゆの恋の芽生え」をネタに書かせていただきました。

……ごめんなさい。うそです。

読んでいただけばお分かりのように「転勤」ネタです。
あいも変わらず、ほぼ全部日記からの引用です。
もう、ただ最後の「「乾杯」」を書きたいがためにまとめたという、勢いでしかない作品(?)です。


……なんか、そんなのばっかりですね。1・2・3とだんだん分量も少なくなっちゃってますし。
まあ、指差して笑ってください。笑ってくだされば、本望です。


では、また。                               吉村氏と実際に杯を交わしたい、香月。


追伸。 某人猫がいきなりすぎて、「なんのこっちゃ」という方へ。
    不肖、「ねこのの。」をご覧ください。年末までには、完全版もUPする予定ですので。
    ……ってな事を以前にも書いてたような気が。
    今度は守れるように、頑張ります。