少女が一人ぼんやりと窓から月を見ている。
月が顔を明るく照らし、レンズの向こう側の瞳は見えない。
星屑や月を見るとはなしに見ながら彼女は考え事をしていた。
ことの内容は彼女の恋愛・・・だったものについて。
それを考えるのは彼女ぐらいの年齢の少女たちならば
誰しもがすることだろう。しかし。
一般的な高校女子と彼女は決定的に違う点があった。

月を見上げるこの部屋が鑑別所で。
彼女が「ひとごろし」であるという決定的な違いが。

それでも彼女の見上げる月は他の恋する少女たちのそれと同じで、
彼女・高城とうなはその事実だけはたまらないな、と感じた。




退屈な女より もっと哀れなのは かなしい女です。
かなしい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。
―――マリー・ローランサン




星のない空の下で -Fugitive SIDE-  「ワルツ」




-1-

自分は基本的に目の前のことよりも数歩前のことを気にする人間だ。
目の前においしいそうな食事が置かれたとして、自分が空腹だとしても食べたことによって起こる結果をまず考えてしまう。
だから今まで「買い食い」や「衝動買い」の類は行わなかったし、さらに言えば「つい」や「思わず」といった行動は極端に少ない。
だから高校に入学しても結果を残せる可能性の低い部活より 受験に於いて確実に使い勝手の良さそうな生徒会に入ることを決めた。
これといって不安はない。字はそこそこ綺麗であるし数学の成績だって悪くない。
会計も書記もお手の物だ。
入学してから数日後に行われた部活紹介の最後、生徒会の紹介を聞きながら私は3年間の使い道の算段をしていた。

その日の放課後。
面識のないクラスメイト達に親睦を兼ねて、とカラオケに誘われたが無難に断り
生徒会室の扉の前に立つ。
木造のドアを叩くと中から一人男子生徒が出てきた。
「や。今俺しかいないんだ」
「そうですか」
別にこの人だけでもかまわない。まだ生徒会も新しい人員を拡充している段階なんだから
そう大した仕事はないだろう。
入った・・・もとい、これから入る自分に仕事を任せると思えない。
「生徒会に入りたいのですが。生徒会の入会届けをいただけますか」
「いや・・・・そうか」
「?」
「俺も1年なんだ。同じクラスの佐久間麻之」
「・・・・あ・・・・失礼しました」
「いやいいよ。それよりなんか飲む?もうすぐコーヒーが沸くんだけど」
「・・・・・は?」
日差しが眩しい、桜の咲く季節の出会いだった。


-2-

先輩たちは割とよくサボった。
器用な後輩と不器用だが真面目な後輩が二人いるものだからついつい楽しているかもしれない。
そんなわけで試験前後や休日近くになると私と佐久間麻之――佐久間さんと呼んでいる―――だけになることが多かった。
二人きりの時には、下校時刻までずっと他愛ない話をしたものだった。

会話を重ねるうちに気付いた事、佐久間麻之は器用な人間だ、ということだ。
器用というのは人間関係を円滑にする能力に長けているということ。まあ、手先も器用なほうだ。
人に好かれる才能を持っている人間というのは実に得である。
彼に生徒会に入った理由を問うたとき、彼は人好きのする表情で「中学のときの先輩(当時の生徒会長だ)に誘われた」と言った。なるほど、と納得。
彼は私の面識のない先輩たちに親しげに歓迎されていたし、しかも気付けば会話の輪の中心でいる。
実に器用な人間だ。自分には決定的に欠けているものだ、そうやって感じると同時に羨望。
しかも、長髪が感じさせる遊び人風の雰囲気とは裏腹になかなか博識な面も持っており、彼との会話はとても愉快だった。
そうして彼と私の間に交わされた会話はどれも印象深いが中でも特に、と思うものは1年生の雪でも降りそうなほどに寒い日のものだ。

試験明けのその日もやはり生徒会室は2人だけだった。
窓の外からこれからの遊びの計画を話しながら盛り上がる女子の嬌声。部活を再開する野球部の掛け声。
陽光が部屋を舞うホコリを照らす。光の中で踊るそれはきらきら綺麗だ。
試験期間の間にたまった書類を片付けながらいつものようにコーヒー(液体キャラメルだ)をすすり
久方ぶりの生徒会室での会話に花を咲かせていたときに、ふいに佐久間さんは私に奇妙な提案をした。
「なあ とうな」
「名前で呼ばないでください」
彼は私だけでなく同年代の友人は名前で呼んでいた。
慣れない私はこそばゆいのでやめるよう頼んだが一向に直る気配はない。
「今年の予算、少し余ってるみたいなんだ」
「そうですね」
「日曜日使いに行かないか?」
「・・・別に使い切る必要はないと思いますが」
「いや、使い切らないと要らないと判断されて
その分 来年度に回してもらえる予算が減るんだ」
「・・・なるほど。それはぜひ使い切らないといけませんね」
「そうだろ?」
コーヒーを一口すすって、気持ちを落ち着けてから
疑問をひとつ投げかけてみる。
「ただ、ひとつ解せません」
「ん?」
「なんで私と一緒に行くのですか。
私よりももっと一緒にいて楽しい人はいるはずです。特に佐久間さんは」
客観的な判断を下すと、私はそこまで面白い人間ではない。
なんだってまた、そんな私を貴重な日曜日の相手として選んだのだろうか、ということがとても気になった。
また同時に、ひとつ期待があった。
「んーーーー・・・・・そうだな。
でもなんていうか、とうなといると落ち着くからな」
「・・・・・・・・!」
びっくりした。
何でって、彼の言葉は私の期待通りだったから。
・・・白状すると、この頃になると私は佐久間麻之に少なからず好意を抱いていた。
彼のソツの無い社交性から生まれた良好な関係だと認識してはいたが、
男子とあまり接点の無かった私には彼との会話は私の心を軽くさせるものがあった。
そんな彼にこんなことを言われた物だから、私は一気に舞い上がってしまった。
ああ、心臓の鼓動が早すぎて苦しい。
それまでぼんやりとしていた私の彼に対する好意は一気に恋という輪郭を得てしまい、
それが生まれたことに対する喜びやその相手が目の前にいる緊張やらで 
私は何がなにやら分からないほどの歓喜の奔流に飲み込まれる。
目の前が真っ白になったような感覚を覚え、気づけば日曜日の約束をし終え佐久間さんが先に帰宅してから30分ほど経っていた。

こんな状態でも仕事をきっちりこなしていた自分に苦笑しつつ、
時間が飛んでしまうほどに喜びを与えてくれた恋に愛おしさを感じながら。
頬に手を当てて、まだまだその余韻に浸っていようと思った。



-A-

自分は根本的に他人を信用していないのだろう、と佐久間麻之は時折考えることがあった。

原因は自分でもはっきりと自覚していた。ありがちな理由、幼少期の両親の離婚、だ。
自分に対して無条件の愛情を注いでくれる存在は無く、幼い自分を世間体の為に引き取った自分の親。
よくある不幸だ、と。そう思う。殊更自分が不幸だとは感じない。
だがしかし、ほんのわずか。ささやかな祈りのように思っていた。
いつか自分を「自分だから」愛してくれる存在が現れてほしい、と。

しかし現実はそうはいかなかった。親は自分が他人より「成績が優れている」などいった観点でのみ自分を評価するような人間だったから、周囲の人間よりも一歩先のことを見据えることができるように、また周囲の人間が何を望んでいるかをすぐに把握できるように成長する必要があった。
中学校に入る頃になると、そんな自分を周囲の女子は「優しい」「大人」「かっこいい」と褒めた。
しかし、そうやって褒められる度に言い知れない空虚感を覚えるのだった。
褒められているのは自分が被った仮面のほうで、その奥にある「自分」が褒められているわけではない、と感じてしまうからだ。
だからこそ未だに、自分を見てくれない他人達を信用できないでいる。

そんな他人の中でも一人だけ「違うかもしれない」という人物がいた。
高城とうな。高校の生徒会で一緒になった同級生だ。
彼女は、自分を褒めたり交際を申し込んでだりしてくる他の女子たちとは少し違った。
彼女は自分の素の部分から出たものの話題を出来る初めての相手だった。
ご機嫌取りをしたり、場の空気を読んだり、相手の望むように振舞ったり。しがらみで作られた言葉を話す必要が無い、そんな気楽な相手だった。
だから彼女との関係は実に心地よく感じたし落ち着きを覚えるのだった。
少しだけ、あの空虚感を覚えずにいられる相手だった。
出来るならこの関係をずっと続けていきたいと思った。



-3-

日曜日になった。冬の雲間から明るい日差しの差し込む、澄んだ晴れの日だった。
七篠駅前に10時集合、と(吹き飛んだ時間の中で)決まったのでその10分前には到着。
視線をそこここに投げかけながら、そわそわと時間が来るのを待っていた。
昨晩も今朝も、果てはここに来る途中も考えに考えて服を厳選したが未だに、この服でいいのか、とか考えてしまう。
ああ、今まで色恋やお洒落にさほど興味が無かったことが悔やまれる。圧倒的に経験値不足だ。
そんなことを考えている自分を客観的に見つめなおしては、まるで一昔前のドラマのヒロインみたいだなんて思って苦笑。
でもそれが間違ってはいなかったりするのが一番の問題だ。手に持ったバッグの重みに期待が募る。
木枯らしがいつもと少し違う私の髪をくすぐっていき、乱れた髪をかきあげながら顔を上げると佐久間さんが改札口を通りながら軽く手を上げていた。
「よ、おはよう」
「おはようございます」
「私服は初めて見るから新鮮だな」
「・・・変じゃないですか?」
「いや全然」
「・・・佐久間さんも似合っています」
「サンキュ。それじゃ行こう」
話しながら一緒に歩き始める。
見慣れた景色が少し輝いて見えるのは、気のせいではないのかもしれない。

「もう昼だな。昼飯はどこで食おうか?」
ちなみに買い物先は総合雑貨店だった。
佐久間さん曰く、こういう店は領収書を切ってもらうと品名がすべて「雑貨」の表記になるので会計簿をごまかしやすいそうだ。
どうしてそこまで悪知恵に頭が回るんですか、と半ば呆れてしまったが、2人だけの内緒でいけないことをしているんだ と考えるだけで思わず頬が緩んでしまった。
こんなものがあるのか、あんなものはどうだろう、と雑貨店の品を端から端まで見渡していると時間はあっという間。昼時になってしまった。当然、昼食の話題になる。
「あんまりこの辺いい店無いんだよな。どうしたものか?」
「・・・・あの」
となると、バッグの中に忍ばせてきた「モノ」の出番である。
「ん?」
鼓動が早い。口の中がカラカラに乾いている。
ああ、かつてここまで声を発することが重労働と感じたことは無い。
大きく深呼吸。そして声を絞り出す。
「・・・・その、お弁当を作ってきてみたのですが」


それから二週間後、私は佐久間さんに告白した。
幸運にも付き合えることとなったが、その時の佐久間さん・・・麻之さん呼ぶようになった・・・の遠くを見るような目が、少しだけ胸に引っかかった。



-B-

とうなから告白をされた。正直なところ、少し悲しいと感じる自分がいる。
彼女との居心地のいい距離がなくなってしまったからだ。
そしてもしかすると、彼女は自分の・・・やはり自分の仮面に恋をしてしまったのではないか、と感じるからだ。
彼女のことが嫌いなわけではない。おそらく、女子の中では一番好きだろう。
ただ、今までのように彼女と一緒にいることで、隙間風の通るこの心を埋めることは出来なくなってしまったことが、悲しいと感じる。
他人を、自分を埋める為のモノと考える。こんな事は誰一人として恋愛とは言わないだろう。
我侭身勝手な、それこそ「心無い」行為。たまに自分を殺したくなるほどに憎いと感じる行為。
ああ、一体どこにこの穴を埋めるピースはあるのだろう。

こんなことを考えているときは、決まってとうなに「遠くを見ているようですね」といわれた。
そうか、そんなに遠くなのか。自分の近くには無いのか?

それでも明確に別れる理由もなく、ただ季節は流れていった。
春に桜が咲く。新入生が入ってきた。歓迎会の用意は忙しかった。
夏に蝉が鳴く。夏に来る学校はいつもの部屋までワックスの匂いがした。
秋に銀杏が舞う。体育祭。この季節、別れる理由が出来る。
強烈に惹かれる存在ができた。
体育祭のとき、はりきり過ぎて怪我をした友人に肩を貸している姿を見かけたときだ。
何故だろう、たったそれだけのことなのに徹底的に好きになってしまった。
色々と理由をこじつけることは出来るだろうが、あえてその必要は無いのかもしれない。

また考えた。今度は遠くは見ていなかったかもしれない。実に単純なことだ。
自分にむけられる「誰か」の愛情はいずれ薄れてしまうかもしれない。
でも、自分から「誰か」に向けられる愛情は・・・自分が望まない限り永遠に裏切られない。
それだけのことだ。結局のところ自分が求めていたのは愛してくれる存在ではなく愛す存在だったのだろう。相手に見返りを求めない、愛するだけの相手。
そう考えたらもう、とうなとは付き合えなかった。
翌日、彼女に別れ話を切り出す。彼女は泣かなかった。乾いた顔をしていたことを覚えている。
そしてさらにその数日のあと、黄昏の中に赤を見つけることになる。



-4.9-

記憶を読み返し続けて、最後に現在まで到達して、目を開くと。
そこには相変わらず殺人犯の私がいた。
殺風景な部屋には格子の嵌った窓がひとつだけあり、空の薄ぼんやりした青さだけ見える。
そこから注ぐ光は、生徒会室のように、空気の中のほこりを照らし出してきらきらと綺麗だった。
しかし、そんな風景よりも。
・・・・・思い返してみて呆れた。
私が彼に惹かれた理由、今になって思い返すと実に浅薄に感じたのだ。
本当に他愛のないものだ。ただ男性に慣れていない自分を少しだけ特別に見てくれる相手がいただけ。
たったそんなことに身を焦がして、
たったそんなことに心を燃やして、
たったそんなことに未来を閉ざして。

私は馬鹿だ。
自らをこれほどの苦境に追い込んでまでまだ愛だとか、恋だとか。
こんな馬鹿馬鹿しい事は、忘れてしまおう。
「高城さん」
外していた眼鏡を掛け直そうとした私に係官が声をかけてきた。
「・・・なんですか?」
「面会です・・・佐久間麻之さんという方です」
眼鏡を掛ける手が動かなくなった。



-5-

頭の中身を思いっきりかき混ぜられたような、何を考えているのか分からない状態が今の私だ。
係官に連れられて廊下を歩いていく、両の足もおぼつかない。
ふらふらと夢遊病者のような足取りで歩く先に「面会室」とプレートに書かれた部屋が現れる。いや、立ちふさがる。
逃げ出したい、と思った。
係官がドアノブに手をかける。止めようとしたが喉からは間抜けた声が出るだけだった。
がたがたと足が震えだす。それでも係官が先を促し、2歩、3歩。

目の前に、いた。
ガラスを隔てた向こう、此岸と彼岸ほどに離れた先に、大好きな相手が。今忘れようとした相手が。

ぼたぼたと涙がでてきた。
だめだ。とまらない。
眼鏡をかけているのに、かけてないのと同じくらいに視界がぼやけ、にじんでいく。
水を含ませすぎた水彩絵の具で描いたような景色が目の前に広がっていく。
泣くまいとする最後の理性も絵の具の中に攪拌されてにじみ消えてゆき、私はもう涙を止められない。
「わあああああああああああ!!!!」
がちゃり、と眼鏡が床に落ちた。
涙に今まで心覆っていた殻まで溶かされ、自分に吐いていた嘘が露わになっていく。
殺してから捕まるまでは必死だったから、目を背けていた。
捕まってから今までは、気付かない振りをしていた。
でももう逃げられない。自分の本当の心に気付かされる。直視させられる。

楠木遙の行動を偽善と罵ったが、今になって彼女の心の強さに気付かされ、打ちのめされる。
彼女は自分の友人への友情を疑わなかった。最後まで行動した。想いの先に行動を完遂してのけた。

でも私は?
駄々っ子が愚図るようにそれは自分のものだとがなりたてて、暴れて、取り返しのつかない過ちを犯して、そこから逃げて。どこまでも逃げて、その果てに捕まっても直視はせず。また誤魔化す。
最後には愛した相手すらなかったことにしようとする。

例えば癌のような、不治の病。そういった病に犯された人は
最初に「なぜ自分が」と恐慌状態に陥る。
その次に平和に生きている人間への憎悪。
最後に・・・すべてへの諦観。

となると私のこれは不治の病ということになる。
なるほど、罪が病とは言い得て妙だ。
バカは死ななきゃ治らないということと同じように
罪も、死ななきゃ許されないのか。
でもどうやら私の弁護士は有能な人のようで罪を軽くするために奔走し
情状酌量の余地がある、だとか言ってくれている。
だが私は生きたいだなんてほんのひとかけらも思わない。
こんな醜い私なんて消えてしまえばいい。

・・・どうして、人を殺してしまったんだろう。
麻之さんのことが大好きで、本当に大好きで、ただそれだけだったはずなのに。
私が殺した相手だって、ただ友人のことが大切で、それだけだったのに。

私は馬鹿だ。
自らをこれほどの苦境に追い込んでまでまだ愛だとか、恋だとか。
でもああ、好き。目の前の相手が、心の底から。
麻之さんの声が聞きたい。
顔を見たい。
話がしたい。
髪に触れたり、指に触れたりしたい。
そんな、ありふれた、しかし人殺しにはたいそれた願いを未だに捨てきれずにいる。

「ご、めん、なさい。」

愛した相手に。憎んだ相手に。どちらでもないのに、殺された相手に。
消えてしまった未来に。謝れる限りに

「ごめんな、さ・・・い・・・・・っ!」



-Epilogue-


「おはようございます」
「おはようございます。今日は随分機嫌がよろしいようですね」
「昨日、あれだけ泣いてしまいましたから」
「スッキリした?」
「ええ。そしてもう『逃亡者』ではなくてよくなりましたから」
「・・・?」



3月1日 事件95日後。

さわやかな春風が、開け放たれた窓から吹き抜けていく。
今日、千年谷高校では卒業式が行われていた。
涙を流しながら友人と肩を抱き合っている人、担任教師と記念撮影を行っている人。
皆が一様に別れを惜しみながら、新しい生活への希望を持っているようだった。
副会長という立場柄 在校生として卒業式に参加した自分はこの日卒業していく先輩を教室の前で待ちかまえていた。
ほどなくその先輩は教室の入り口をくぐってきた。短くなった髪を見て少しだけ驚く。
彼女もこちらの姿を見つけて少し驚いたようだ。
「楠木・・・先輩。卒業、おめでとうございます」
一呼吸おき、微笑みながら彼女は返事をしてくれた。
「佐久間君・・・。ありがとね」
場合によっては口も利いてくれないことも考慮していたからちゃんと返事が返ってきて安心する。
「こういうことを突然言うのも何ですが・・・卒業する前に、一発、ぶっ叩いてくれませんか?」
「え?」
「・・・俺には、叩かれるべき理由ってもんがあるでしょう?あ、そういう趣味というわけではないんだけど」
「・・・そう、だね・・・」
見られていては叩きづらいだろうと目を閉じる。
先輩は一歩近づいて卒業所の入った筒でぽこん、とやってきた。
「・・・楠木先輩・・・手加減されちゃ困りますよ・・・。むしろ思いっきりいってくれた方が楽になれるってもんだ・・・」
「ごめんね。でも、このくらいでいいんだよ。もう、終わったことよりも、先を見たいんだ」
先輩はそこまで言うと、背を向けた。
以前見たときとは違う、力強い背中だった。
「・・・そうやって優しくするから・・・諦められなくなる・・・」
「・・・ごめんね。・・・それじゃあ」
先輩はもう振り向かなかった。
彼女が階段の先を曲がって、姿が見えなくなるまでその背を見つめていた。

「・・・ふう」
大きく息を吐く。
ああは言ったが実のところ、もうあまり先輩に恋焦がれる、ということはなかった。
それ以上に、とうなのことが気になっていたからだ。
彼女はああして、半ば俺のせいで捕まったというのに今でも俺のことが好きだといった。その事が衝撃だった。
彼女のその気持ちはまさに自分の求め続けていた、「無条件に自分を愛してくれる」事そのものだったから。
「んー・・・いい天気だ」
先輩にああ言ったのは、ほんの少しの未練。
彼女はこれから新しい生活を始め、おそらく自分のことを忘れてしまうだろう。
だけど、たとえ話した時間が少なくても忘れないでほしいと願う自分の小さなわがままだ。
あの言葉がほんの小さなトゲになって先輩の心に刺さればいい。
傷みもないほどのトゲだと思うが、それでも、と思った。
しかしこの恋心もまた、二度と見ることはないだろう先輩の後姿とともにうっすらと掻き消えていった。
そしてその先に見えたのは、本当に大切なもの。
「さてと。・・・いきますか」

ガラスの向こう側のドアが開き、面会室にとうなが入ってきた。
以前、とうなが捕まってから数日後に行った面会では彼女は泣きじゃくるばかりだったので
少しばかり不安だったが今日はとても落ち着いている。
表情も頑なな様子はなく柔らかい。
「や。久しぶり」
「お久しぶりです」
・・・しまった。言いたいことは分かっているのだがどう切り出せばいいのだろうか。
言いよどんで、口をつぐむ。
・・・少し考えた後。
とうなと会ってから今までの自分の気持ちの変遷をありのままに話すことに決めた。
みっともなくて言い訳じみていて我が侭で、とてつもなくかっこ悪い話だ。
そんな自分を、とうなは敵意も好意もなく見つめながら無言で話を聞き続けた。
「俺はきっと根本的に他人を信用していなかったんだと思う・・・・・・・・・」

話は現在に近づいて、終わりを迎える。
「・・・・・・でも、とうなは俺を信頼してくれた。無節操で、人を平気で振るような俺を、それでも好きだといってくれた」
とうなは相槌は一度もうたなかった。
「俺はとうなが好きだ。とうなが戻ってくるまで、待ってる」
自分の人生で初めての、告白だった。

「・・・・・・・」
とうなはしばらく無言だった。
その顔は・・・なんと形容したらいいのか分からない、なんてことが一切ないごく普通の顔だった。
あまりにごく普通の何気ない顔のために逆に戸惑ってしまう。
「・・・・・・いえ」
「・・・・?」
「待っていていただかなくて結構です」
「え?あ、・・・え?」
思いもかけない返答だった。うろたえる。
「・・・前、麻之さんが来た3ヶ月前。あの日は本当に、泣きじゃくってしまいました。
自分の醜い部分をまざまざと見せ付けられたようでした」
「・・・・・」
今度はこちらが押し黙る番だった。
そんな自分を尻目にとうなは、かつて生徒会室で二人で交わした、なんでもない会話を話すように続ける。
「でも。あの日目をそらし続けていた部分を見たから、逆にスッキリしました。
今までの私は・・・殺人を犯した日から・・・もしかするとその前から、ずっと逃亡者でしたから」
自分の認めたくない事実から逃げ続ける逃亡者。
「ようやく逃げずに済むように。後ろを気にしながら走るのではなく、ただ前を見据えて進むことが出来る」
「だから・・・・」
「だから、さようならです、麻之さん。いえ、『佐久間さん』」
言い終えたとうなの顔を見つめる。レンズ越しではなくじかに見るその目は自分の知っているものとは違う輝きを持っていた。
・・・参った。
「参ったよとうな」
「参りましたね」
「いやそうじゃない」
「は?」
髪を掻きながら間をおく。ボリボリと妙にいい音がした。
「いや本当に参った。なんかさ、とうなが俺に興味がなくなったのに、俺は惚れ直してるんだから」
あまりの言葉にとうなが吹き出した。
「・・・呆れますよ、佐久間さん」
「俺も呆れた」
馬鹿馬鹿しい。本当に馬鹿馬鹿しくってくだらない。思わず笑いだしてしまうほどだ。
「ふっふっふっ」
「ふふ、あはははははは!」
もうお互い、大爆笑である。
この物語は、どんな喜劇よりも喜劇で、どんな悲劇よりも悲劇だ。
「とうな、やっぱり俺はお前を待ってるよ。戻ってくるまでさ?」
「でも私が出てくるまで時間がかかりますよ?
それに私は佐久間さんのことそこまで好きじゃありませんし」
「それでもさ」
「ふふ、なんだか浮気を許された亭主みたいな状態ですね?」
とうなはニヤリと笑った。
「それでも俺は待つぞ?」
こちらもニヤリと笑い返す。
どこかで交わした会話だ。役処が逆転しているが・・・。
とうなは、もうこらえ切れないといった様子で腹を抱えて笑う。
「なんだか・・・・」
とうなが吹き出しそうな口を押さえながらしゃべる。
「ん?」
「私が好きになった途端に麻之さんが冷めたり、麻之さんが私を好きになった瞬間に私が冷めたり・・・・」
「ああ、まともな恋愛じゃないな、これは」
くっくっ、と喉を鳴らして笑う。
「そうですね。まるで・・・・」



「ワルツを踊っているみたいですね」






…Thus, We begin to walk.
This starless sky----under the blue blue sky.



Fin…