"少女"は一つの頼みごとをされた。
  "少女"は今の生活に慣れてきたために、刺激が足りない、と思っていた。
  "少女"はだからその頼みを聞き入れることとした。
  "老人"の戯言とは思わず、確かな頼みとして。
  "少女"は聞いた。それが"その人"の幸せに繋がると。
  "少女"は思った。ならば私の行動原則には反しない、と。
  "少女"は動き出す。頼みを叶え、幸せを産むために。

  ――面白いことになりそうだっ!

  赤茶がかったショートボブの髪をたなびかせ、彼女は降りて行く。
  
  人が"現世"と呼ぶ世界に。


  <<影の無い夕空の下で>>

  
   StrangeStep:Changing

  伊勢崎多奈は自室のベットに寝転んでいた。
  理由は何もする気力が起きないからであり、どこまでも怠惰だと自覚している。
  
  それでは駄目だと思いつつも、心にある無気力さは中々取れない。
  これでも数ヶ月前よりは随分ましになったと言う実感はある。
  外の木は青く色づき、春の到来を告げている。
  あの"少女"と別れてから4ヶ月、あの"少女"が居なくなったのも4ヶ月前だ。
  
  ――どうして私は、あんな選択をしたのだろうか。

  あの"少女"、遠野有希の死因を知り、それから幾度と無く繰り返した自問自答。
  その時、私が選んだ正義だった、と考えても納得は出来ない。
  出来るはずが無い。
  後輩に撲殺されたという事実。
  有希は私を助けるために、戦い、そして辿り着いた。有希はそれだけの運動能力を持っていた。
  その事実を思えば思うほど、
  
  ――私が能力を失わせなければ、有希はその死から逃れたはずです……!

  あの時はそんなことを考えもしなかった、というのはただの言い訳に過ぎない。
  私がそういうことをした、という事実がここにあり、有希が死んだという事実もここにある。
  全てが手遅れになってしまった。
  ベクトルを曲げる、他人の持つ力を開花させる、淡い蒼に光る右手を見て、そう思う。
  
  心が軋む。
  
  
  ふと時計を見れば、そろそろ長針と短針が原点に返り重なろうとしていた。
  重い身体をどうにか起こす。
  自分の部屋を見回し、味気の無い部屋だな、と思う。
  クローゼット、ベッド、小物入れに、本棚。
  他に目に付く者は無く、鏡すらここにはない。
  否、鏡は無くなった。自分で割ったのだから。
  数ヶ月間に、自分の顔を見るのが嫌になり、思い切り床に叩きつけ割った。
  こんな自分を有希が見たらなんと言うだろうか。
  励ましの声をくれるだろうか、それともただ微笑むだろうか。それとも何も言わず引っ張って行く
 だろうか。それとも私を抱きしめるだろうか。それとも引っ叩かれるだろうか。
  それとも、何も言わず、去って行くだろうか。
 
  心が軋む。


  無気力な身体に鞭打ち、立ち上がる。
  とりあえず、顔を洗いに行こうと決める。
  兄からの懇願で、3食だけはしっかり摂ることにしている。
  あの世話焼きな兄はそれ以上のことに関して何も言わない。
  「他には何も言わないから、食事だけはとってくれ」と引き篭もって3日目に言われた。
  食堂に下りれば皆の視線が痛い。
  同情の眼差しで見られているのは耐え難い苦痛を感じる。
  兄は食事を「部屋に届けようか」と言ってくれたが、それは拒否した。
  少しでも出なくては、自分がもっと早く駄目になってゆく気がしたからだ。
  しかし、引き篭もってばかりの自分は、
  ――緩やかに駄目になって行っているのだろう。

  面倒になり篭っていれば、兄が迎えにくる。それは経験済み。
  それは嫌だ。兄の声は憂いを感じさせ、自分の心をさらに軋ませる。 
  それに、少しでも迷惑は減らしたいとも思う。
  
 
  窓を見る。否、窓の先を見る。
  そこからはサッカーグラウンドほどの大きさを持った広い芝生がある。
  芝生は降り注ぐ温かみが出てきた光を合図としたように緑に染まりつつある。
  その姿は力強く。
  今の自分と比べ、憧れを感じた。嫉妬も感じた。

  ――私もあの様に、立ち直れたら、どれほど素晴らしいだろうか。
  
  窓越しではなく、自分の目で芝生を見たい、と思い窓を左手で静かに開ける。
  
  すると、突風が部屋に飛び込んできた。
  その突風には、何処か青臭く、土の匂いもして、しかし一種の清涼感を持った、春の匂いがした。
  春風。
  長い、少し誇らしくも思っている黒髪が煽られる。
  久々に感じる感覚。風を浴びる感覚。その風はまだある程度の冷たさを持ち、しかし暖かに流れる。
  春は変化の季節だと誰かが言っていたことを思い出した。
  ならば、春風は変化を告げる風なのだろうか。
  この風は、私に変化をもたらしてくれるのだろうか。
  
  ――けれど、結局変えようとするのは自分ですよね。

  そうとは思うが、やはりこの風が何か運んでくればいいとも思う。
  日光は正午、平等に世界に降り注ぐ。私にも降り注ぐ。
  久々に浴びた日光に自然の暖かさを思い出す。その暖かさは少しの安堵を生む。
  少し窓から乗り出して、真上の空を見る。
  そこには一面の青と、太陽の白い光があり。
  眩しいのに、私は目を反らそうとはしなかった。
  
  そして、

  ――顔に水滴が当たる。

  青空に、雨が降った。天気雨が。
  光を雨が吸い、輝きの雨は降り注ぐ。
  それはたった1分にも満たない時間だった。
  私にあの時を思い出すにはそれだけで充分だった。
  あの時、有希は笑っていた。あの幻想的な風景を、笑顔で見つめていた。
  無気力だった心が、少し動いた。
  無理矢理、笑顔を作って、その風景を見つめた。
  それが、何かを変える気がした。

  雨は止む。濡れた地面は光を受け、輝く。
  世界が輝いている。何か神々しい、と思った。

  顔を部屋の中に戻す。
  髪と顔は濡れたが、嫌な気分ではなく、何処か心地よく。
  何か変わっていけるだろうかと思い、何かを変えようとも少しだけ思える。
  けれど、相変わらずの無気力は付きまとい、心は軋みつづけている。
 
  ――窓を閉めて、顔を洗って、食堂に行こう。
  
  窓に手をかけようと、左手を窓にかけようとした時、それは起こった。

  ――空から何かが降ってきた。

  その降ってきた物体は窓の縁に着地。
  "それ"に驚き少し後ろに下がった私が作ったスペースに、"それ"は飛び移る。
  "それ"は私を見ていた。"それ"は人だった。"それ"は力強い瞳を輝かせていた。"それ"は何か変わる
 と予感させる笑顔を持っていた。
  そして、"それ"は言った。

  「ヒントの妖精が、幸せのヒントを届けに来たよっ!」

  "それ"は"少女"であり、"大事な人"だった。
  "それ"は"失われた人"だった。
  "それ"は確かに"ここ"に居る。

  私の、目の前に。


  next→Search1.知り教える者と知り教えぬ者