ほしのの?

  

そのいち。

  

8月27日(日)


 二階から降りてくる足音。私は、悔しそうな妹の顔を見ながら、判りきったことを聞いてみた。
「で、どうだった?」
「……悔しいけど、お姉ちゃんの勝ちね。」
 そう、私たちはみのりの一泊旅行をネタに、ちょっとした“賭け”をしていたのだ。
 結果は、私の勝ち。
「フフ〜ン! だから言ったでしょう、心配ないって」
「いや、だって、……普通は……ねぇ。」
「みのりに限って、『普通』の訳があるモンですか」
 賭けの内容は、ずばり『この旅行で、2人の間は、どうなる!?』であった。
 妹の水穂は、「ドキドキ☆ひと夏の経験! 」なんて言っていたが、私は、「現状維持」だと踏んでいた。
 もちろん、多少の心的な繋がりというか、ラブラブ間はアップするかもしれない。でも、だからといって、2人の関係が進展するとは、到底思えなかった。
 ……たとえ、どんな状況下であったとしても。
 だからこそ、みのりが「ひとりで」おじいちゃんのところへ行きたい、といったのを許したのだ。
 みのりの彼氏――溝口というらしい――を何度か目撃していた妹は、「それって、まずくない?」と盛んに心配していた。
 そこで、今回の賭けと相成ったのである。
「だからといって、『一緒の寝袋に』ってのは、母親の発案としてはどうかと思うんだけどな」
 妹は、やや苦笑い気味で、そういった。
「この半年ちょっとのみのりの様子をつぶさに見てたらね、なんとなく判っちゃうのよ、2人の関係が。――何といっても、負けは負けよ、諦めなさい」
「……はいはい、負けですよ負けましたよ」
 心底あきれたように、ソファーへ座り込む妹。
「フフフ……。そういえば、みのりには言ってないわよね? 今回のこと」
「言えるモンですか。――まぁ、一応寝袋の件は、私の案ってことにしておいたわよ」
「あら、意外と気が利くじゃない」
「じゃあ、負けはそれでチャラということで」
「それはそれ。これはこれ。ためよ、逃げようったって」
「なんだかなぁ。全く……」
 賭けの賞品は「夏休み最終日に、カフェ『サンマルク』でランチをご馳走になる」である。そう簡単に手放したりは、しない。
「……でも、以外に、あの子もばかよねぇ。いまだに、私にバレてないとでも思ってるのかしら!?」
「そうみたいね、あの感じじゃ。って言うか、私にバレているのだって、恥ずかしそうよ?」
 やはり、そうか。
 でも、自分じゃ絶対に食べない、というか「邪道だ! 」といって兄弟喧嘩さえした事のある、ツナのおにぎりを作っている時点で、「ラブラブです」と公言しているようなものだとなぜ気付かない。
「全く……。って言うか、弟の一帆にだってバレているのにねぇ。」
「えっ、かず君も知ってるの?! だって彼、去年の春から学校の――商船高等専門学校だっけ? そこの学生寮に入っているんじゃなかったっけ? 」
「そうよ。でも、盆や正月、ゴールデンウィークなんかには帰ってきてたもの」
「それだけでよく分かったわね」
「って言うか、それだけでもピン! とくるような態度だったのよ、あの子。やたら寂しそうだったり、カレンダーに丸印をつけてそわそわしていたり、ね。気付いてないのは、多分父親だけよ」
「あは、ははは・・・・・・」
「全く、こうも鈍感だなんて、一体誰に似たのやら」
「彬さんじゃないの? ――似たもの親子じゃない」
 クスクスと笑い出す、水穂。
「……そうねぇ。『女の子は父親に似る』って言うし。やれやれ、この分じゃ、いつになったら彼を紹介してもらえることやら」
 思わず、溜息が出てしまう。
「大体、私たちの時だって、それはもう、……」
「アハハハハ。そうだったそうだった。傍でみているとバレバレだったのに、いつまでたっても連れてこないんだもん。私、お姉ちゃんが『出来ちゃった婚』を狙っているのかと思ったこともあったよ? 」
 当時のことを思い出したのか、水穂はお腹を抱えて笑い出した。
「いや、私は紹介してもよかったんだけど、あの人がねぇ。全く、困った人よね」
「とか何とか言って、いまだに『はい、あ〜ん』とかやってるくせに」
 水穂は笑いすぎで、涙を浮かべて苦しんでいた。……この、ばか妹め。
 と、そこへ、みのりが顔を出した。ソファーにのたうっている水穂を見て、「?」という顔をした。
「どうしたの? みのり」
「あっ。そうそう、ねえ、お母さん。今度の31日なんだけど。……今度は、星野まで行ってきたいんだけど、いいかな? 」
 思わず、笑いやむ水穂。そのようすを横目にして、少々困り気味なみのり。
「あら、どうしたの」
「うん、榛奈にね、学祭に誘われたの」
「あら、良いじゃない、行って来なさいよ」
「…………」
 何か言いたそうな水穂は、この際、無視をする。
そんな叔母の様子を見て、みのりは何かを感じ取ったようだ。
「……なに」
「べ〜つにぃ、な・ん・で・も・ないわよ? 」
「うう〜」
「さて、と。私はそろそろ帰ろうかな。又、明日バイトでね、みのりちゃん」
 うろたえるみのり。ニヤニヤと笑いながら、席を立つ水穂。
 こんなみのりを見るようになったのは、ここ最近になってからだ。母親の私が言うのもなんだが、ほほえましい。
 でもまぁ、そろそろ助けてやるとするか。
「……水穂。約束、忘れないでね」
 思わず固まる、水穂。やっぱりとぼける気だったのね。
 人の娘でいつまでも遊んでいるからよ。――というか、私だって遊びたいのに。一人だけ楽しもうだなんて、そうは問屋が卸しますか。
「それで、みのり一人で星野まで? 大丈夫? 誰か保護者は?」
「!!」
 みのりの顔が、まるで茹蛸のように真っ赤になる。
「っも、もう。小学生じゃないんだから、大丈夫に決まってるじゃない。バカなこと言わないでよ」
 本当、わかりやすい娘だこと。
「……はいはい、解りました。まぁ、楽しんでおいで」
(いつか彼を紹介してね。期待しないで待ってるわよ)

みのりに向かって、私は何事もないかのように、微笑んで見せるのだった。


FIN

  


その2。 初恋?

  

1.

 ――――――初恋は、実らないものだという。でも、本当にそうなのかな?

 正直、私には分からなかった。ううん、今でも、分からない。そもそも“恋”というものがよく分からないのだから。
 友人達が“恋”だの“愛”だのと盛り上がっていても、私には一緒に盛り上がる事が出来ない。

 ――――だって、私にとっては、どうでもいい事なのだから。

 友人の一人は、“恋”するうちはダメなんだ、“愛”するようにならないとね……などと言うけど。

 だけど、本当にそうなのかな?

 “恋する人”は自分の為に、“愛する人”は相手の為に。自利的行為と他利的行為。やっぱり後者の方が良い、ということ?
 でも、“好き”という気持ちに、違いがあるの? 

 ――――――やっぱり私には分からない。今でも、分からない。ま、別にいいけどね、関係ないし。


 ――――――あのときの私は、そう、“真剣に”考えていなかったんだと思うんだ。
 むしろ、“めんどくさそう”だから、考えない様にしていたんじゃないかな。

 常日頃に、目の前には「はい、あ〜ん」などとやっている両親がいたから、気恥ずかしかったのかもね。
 まぁとにかく、私は“恋愛ごと”に関しては、気にしないようにしていたんだと思うよ。

 うん、そう。“気にならなかった”んじゃなくて、“気にしないように”してたんだよね。
 ――――でも、だから、私は髪を切らなきゃならなくなったし、あの人ともめぐり合う事が出来たんだよね。

 え? 今? ――――今、幸せかって? ――――もう、どうでもいいじゃない、そんな事は。
 ――――――はいはい。幸せだよ幸せですよ、もう。そう言うそっちは……って聞くだけ無駄か。
 はいはい。別に話をそらしたわけじゃないよ。もう。 


 とにかく、あのときの私は、だから舞い上がっちゃってたんだと思うんだよ。――――多分、初めて声を掛けられた、あの瞬間から。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――


 高校三年の最後の夏。私は幼馴染でもあり親友でもある榛奈の所へと遊びに来ていた。
 目的は、榛奈の彼――――従弟の結城君の学校祭見物。
 何でも、結城君の学校の生徒会長から「今年も是非榛奈さんには見て欲しい」とのオファーがあったとか。

 で、どうせなら……ということで私も誘われた。もちろん、私が断るはずもなかった。
 なぜって、――――やっぱり、携帯の写真なんかじゃなくて、この目で見てみたかったしね。結城君のメイド服姿。

 今回は、溝口さんも連れてきたんだけれど、これは榛奈のリクエスト。
 何か「みのりの事を好きになる人が居るなんて信じられない」とか言っちゃって、ね。
 まぁ、正直私だって、まだちょっとこの現状が信じられないけど。……まぁ、幸せなんだけどね。

 とにかく、そういった事情で、私は3年ぶりに星野へと帰ってきたんだ。……溝口さん、ここが私の育ったとこなんだよ?

 駅まで出迎えてくれていた榛奈は、溝口さんを見て「かっこいい! 」ってびっくりしていた。
 ……そうかなぁ。居て欲しいときに居ないような人なんだよ? まぁ、誕生日にはメールをくれたけど。アレは「偶然だ」って言ってたけど。

 結城君のメイド服姿は、もう何ていうか“眼福”だった。
 去年の様子は携帯の写真で見てたんだけど、実物は、もっとこう――――“可愛い〜”って。
 それは、溝口さんも同意見だったらしくて、しきりに感心していたけど、けど……。
 私的には、その後にお披露目となった溝口さんのメイド服姿が“綺麗”だったよ。もちろん、写真もばっちり。
 ……どんまい、溝口さん。
 結城君は髪が短くなった私を見て、びっくりしてたみたい。まぁ、腰ぐらいまでのロングから、今の髪型だもんねー。気持ちは分かるよ。
 でもね。「その悪魔っぷりは、紛れもなく神明さんです」って、なんなのかな。……榛奈も溝口さんもうなづくし。
 ……溝口さん? 今夜は私の愛情たっぷりのレバニラ炒めに決定、だからね。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 

 とまぁ、色々と楽しかった一日が過ぎて、今は榛奈と二人で就寝タイム。
 でも、久しぶりに会った二人がすぐに眠れるはずもなく……お約束の「告白タイム」となったんだな、これが。

 色々な事を白状していく。再開したときの気持ち、キャンプのこと、…今の気持ち。
 色々な事を白状させていく。告白の様子、ファーストキスのこと、…今の気持ち。

 会いたいのに会えなかった辛さ・大切な想いを忘れる怖さ。
 伝えたいのに伝えられない辛さ・大切な人を失う怖さ。

 色んなことを話した。色んなことを聞いた。――――男の子達には、ナイショの時間。

 そして、話は、私が髪を切ったときのことになる。

 ねぇ、榛奈。――――――初恋は、実らないものだという。でも、本当にそうなのかな?

 夜は、まだ、これから。                                     

  

2.

 とにかく、あのときの私は、舞い上がっちゃってたんだと思うんだよ。――――多分、初めて声を掛けられた、あの瞬間から。

 色んなことを話して。色んなことを聞く。――――男の子達には、ナイショの時間。
 夜は、まだ、これから。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 


「ねぇ、ちょっといいかな」
 バイト中にかけられた、声。でも、初めは私だとは思わなかった。
「ねぇねぇ、そこの巫女服の君、君だよ。ちょっといいかな?」
 再度声をかけられ、ようやく自分の事だと気付いた。
「はい、何でしょうか」
 いけないいけない、今はバイト中。今の私はこの神明神社の巫女さんなんだから。
「いいねー。綺麗な髪。何か『いかにも巫女です』って感じでさー。って、馬鹿にしている訳じゃなくてね、その、『絵になるな』って思って」
「……そうですか……」
 確かに、いつも水穂さんにも言われている。「綺麗なロングヘアーで、いいねぇ」って。……ついでに「黙って巫女服着てれば、大和撫子っポイかもね」って。
 全く、ポイってなによポイって。……じゃなくて、初対面の人にそんなこと言われて、一体どう答えろと。
「でさ、ちょっとお願いがあるんだけど」
 ちょっと細身の、優しげな顔つきをした人。服のセンスも、いい。――――そんな人が、私に? 一体どんな?
 プチパニックを起こして、営業用スマイルを浮かべたまま固まってしまった私に、その人はこう言って来た。
「ねぇ、モデルをやってみない?」

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 

「えぇー。モデルぅー?!」
 榛奈が、素っ頓狂な声を上げる。
「……なに。文句ある?」
「いや、だって、ねぇ。……何ていうか、怪しくない? それ」
「……私だって、そう思ったよ」
 うん。言われた瞬間は「なに、この人。変質者!?」って思ったことは、事実。
 でも、プチパニック継続中の私には、そんなこと言える余裕があるはずもなく……

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 

 いきなりそう言われた私は、そのまま首を傾げるしかなかった。
「あははは……、ゴメンゴメン、いきなりすぎたよね。大丈夫、怪しい人じゃないから」
 そういって、差し出されたその人の手には、一枚の名刺。反射的に、受け取ってしまう。
「……Hair Studio Ange 、スタイリスト……ええぇ?!」
 思わずびっくりして声がでてしまう。そんな私に、まるで天使のような微笑で、その人は言った。
「君にカットモデルになってもらいたいんだけど、どうかな?」
 私は、再び、前以上に固まってしまっていた。いま、何を…言われたの? わた…し。
「あははっ、いきなりカットモデルって言われても困るよねー。まぁ、今日は挨拶だけということで。またね」
「………………」
 私は呆然としていて、何も返すことが出来なかった。言葉も、笑顔も。―――そんな私にかかわらず、5月の空は、どこまでも青かった。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 


「へぇーっ。向こうに行ってすぐにそんなことがあったんだー。みのりったらいいなぁ」
「……別に、そんなことないって、本当。……全然、いいことじゃなかったんだから」
「えーっ。私だったら喜んでモデルになるのになぁ…って、あれ? でも、結局はその人にカットしてもらったから、今短いんだよね?」
「…………まぁ、そうというか、違うというか……」
「なになに。教えてよ」

 ……ここまで言ったんだから、最後まで言ってしまうべきだろうと思う。――――あの当時は、誰にも決して言えなかった痛みを。
 大丈夫、今は、私を選んで想ってくれたあの人が、私がずっと想っていたあの人が、……溝口さんが、隣の部屋に居る。――――うん、大丈夫。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 

 その3日後。あの人が、また私の前に姿を現した。
 一昨日、昨日と来なかったから、あの事は冗談だと思っていた私に、あの人はにっこりと微笑んでくれた。
「ゴメンゴメン、待った?」
「……いえ、別に待ってなんか……」
「あぁー、違う違う。そこは『ううん、今来たとこだから…』って恥じらいを出すところだよ」
「……はい?」
 今、なんと? 「恥じらい?」なぜに?
「あぁ、もう、解ってないなぁ。そこは『何でやねん』じゃないと…」
 な・なに、この人。ちょっと待って、えーっと……
「いや、「あほなこと言ってるなぁ」って感じ全開の目で見られても…」
「あっ、ごめんなさい。そういうつもりじゃ……」
 思わず頭を下げた私の後頭部に、あの人の手が伸びる。
「ふふふっ、いいこなんだね」
 そのまま“よしよし”をされる。びっくりして思わず飛び退る。……顔が赤いかも、知れない。
「あぁゴメン。いきなりじゃ、セクハラだよね」
 改めて見るその顔は、端整というか、…その、テレビアイドルみたいだというか…、もう、すごい美形だった。
「そんなに警戒しなくても、とって食べたりはしないよ」
 苦笑しながら言うあの人。その困ったような顔を見て「悪い人ではないのかもしれない」なんて思った直後、
「――――まぁ、君は食べちゃいたいほど可愛いけど、ね。」
 とウィンク。思わず、また固まってしまっていた。
「あははっ、まぁ、嫌われないうちに退散するよ。じゃあね、また」
「……あっ……」
 そのまま、笑顔で手を振り帰っていく。また、私は何もいえなかった。
 でも、一体私はあの人に何を言いたいのだろう? 何か言いたいのだろうか? 

 澄み渡る青空を見上げても、答えは見つかりそうになかった。

  

3.

 あの人と知り合ってから、早くも3週間が過ぎた。

 あの人はいつ来るのか判らなかった。毎日来たかと思えば、2.3日来なかったり。
 そして、来るたびに、馬鹿を言い合い、別れる。その間、ほんの10分程。10分もかける、すれ違い。

 そんな出会いを何回か繰り返していくうちに、私は、いつの間にかあの人が来るのを待っているようになった。
 だから、私は、毎日のようにバイトに出ることにした。
 水穂さんは、「そんなに来なくてもいいよー」と言ってくれたけど、私は「高校生ともなるとね、責任感と言うのが出て来るんだよ」と答えておいた。

 でも本当は、あの人が来るのを待っていたいから。あの人と話をしていると、とても楽しくなれるから。
 誰にも、そんな事はいえない。言わない。これは私だけの秘密なのだ。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 

「うわぁ。何か、もうメロメロって感じ? みのりって、そんな一面があったんだ」
 榛奈はしきりに「知らなかったー」と繰り返す。私だって、知らなかったよ。
「あっ。てことは、ひょっとして、溝口さんとも?」
 榛奈が目を輝かせてにじり寄ってきた。――――やっぱり、過去の話よりも現在の、それも進行形の話のほうが、より興味をそそるらしい。
 でも、話すほうは、そっちのほうがより恥ずかしかったりするもんだから、困ったものである。
「……ひ み つ ☆」
 結局は、逃げてしまう。そんな事、――――溝口さんに届く事を想って毎日ピアノを弾いてるだなんて、そんなことは言えない。言わない。
 たとえ溝口さんにでも。このことは私だけの秘密なんだから。
「えーっ、そんなぁ〜」
 あからさまにがっかりとした様子の榛奈。――――なんかこの頃、榛奈がどんどんと大人になっていくようで、ちょっと寂しい。
 以前なら、どちらかと言えばお子様っぽかったのになぁ。…………やっぱり、結城君の力なのだろうか。あっ、ひょっとして、榛奈ったらもう……。

「で、で? そのイケメン美容師さんと、どこまで行ったの?」
 榛奈と結城君の…その…“どこまで”をぼんやりと思っていたところに、話の続きを促す声がかかる。
「どこまでって、別に? 強いて言うなら、美容室までかなぁ」
 ――――――私は、再び記憶の海を漂い始める。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 

「あついねー」
「そうだねぇ」

 何度目かの逢瀬。もう何度目か分からない。季節は既にめぐり、気の早い蝉が鳴き出す頃になっていた。
 すれ違うだけだった時間は確実に長くなっていて、今では30分以上になることだってよくある。

 それぞれが緑茶のペットボトルを手にして、石段の上に座る。
「しかし、こんな場所でよくピアノなんて弾けるよねー。しかも、ノリノリで」
「…え? え?」
 一瞬、何を言われたのかが分からなかった。
「だから、ピアノ。僕だったら恥ずかしくてとても弾けないなぁ。――――いや待てよ、浸りきっているからこそ弾けるのかなぁ…」
 あの人はそう言うと、なにやら考え込んでしまった。なんとなく恥ずかしくなってしまい、強引に話題を変えることにした。
「ねぇねぇ、今の私たちには茶菓子が必要だと思うんだ」
「茶菓子ねぇ」
「ねぇねぇ、奢って」
 思い切って、甘えてみる。――――言葉だけだけど。
「だ・め」
 そんな私の思いを知ってるのか知らないのか、あの人はきっぱりとした口調で拒絶した。……その言葉と口調に、少し傷つく。
「そんなぁ」
 思い切って、また甘えてみる。――――言葉だけだけど。
「だ〜め。みのりちゃんが思っている程、社会人一年生のお給料は多くないんだよ?」
 あの人は、苦笑を浮かべながら、でもきっぱりと答えた。
 私は、思わず涙ぐみそうになるのをこらえるため、空を見上げた。
「……あっ、わた雲……」
 なんとなく呟いてみた言葉に、あの人は応じてくれた。
「そうだね。その上にあるのが、券雲。……あぁ、今日もいい天気だね」
「……けんうん?」
 なんとなく聞いた事の有るような無いような……。首をひねって考える。
「そう、券雲。――通称すじ雲。ちなみにわた雲ってのも通称で、正確には積雲だね」
「…へ〜…」
 スラスラとそんなことが言えるあの人を、すごいと思ってしまった。
「って、みのりちゃん? こんなの、中学校で習わなかったっけ」
「うっ……」
 痛いところを突いてくる。って言うか、そういう日常生活にはまるで関係の無いことを、サラッと言えることに、感心したのになぁ。
「ピアノばっかり弾いてないで、ちゃんと勉強もしなきゃダメだよ?」
「え〜、私だけー? それなら公平に……」
「社会人には休息が必要なんだよ…。今この瞬間も、次の仕事のための休息なんだ」
 わかんないだろーなーと、あの人は笑って言う。何か悔しい。悔しいけれど、くすぐったいような、変な気持ちになる。
「……えい!!」
 思い切って、また甘えてみる。――――今度は言葉じゃなくて、行動で。軽めのチョップをあの人めがけて振り下ろしてみる。まさに、渾身の一撃。
「みのりちゃん……」
 そんな私の思いを知ってるのか知らないのか、あの人は左手で難なく受け止めながらいった。
「みのりちゃんも一応女の子なんだから、そんなことはしないの」
 溜息交じりで言われてしまう。
「綺麗なロングヘアーに、巫女服……黙っていれば、大和撫子っポイのにねぇ」
「………………」
 また言われてしまった。そんなにおかしいこと、いけないことなのだろうか。私には、分からない。――――分からないなら、聞くしかない。
「……元気だと、ダメ、なの?」
 言葉に含まれる真摯な響きを感じ取ってくれたのか、あの人は真面目に答えてくれた。
「ダメ、じゃ無いけど、やっぱりこう“イメージ”ってのがあるからね」
「……イメージ?」
「そう、イメージ。まぁ、大半が固定観念から成り立ってはいるんだけど、人はやっぱりその観念から中々抜け出せなかったりするんだよね」
「…………」
「で、イメージとのギャップが大きければ大きいほど、そのことに嫌悪感を感じてしまう。……もったいないと思うよ? みのりちゃんはこんなにも可愛いのに」
 せっかく「可愛い」と言って貰えたのに、嬉しくない。――――なんか、私の全てが否定されたみたいだ。
「まぁ、今のみのりちゃんでも十分可愛いと思うんだけど……。う〜ん、みのりちゃんのイメージなら……」
「……イメージなら?」
「……そうだなぁ、あっそうだ、こうしようか」
 あの人が突然笑顔で立ち上がる。そして、いたずらっ子のような瞳で、私を見る。
「ねえ、みのりちゃん? 今度の月曜日、あいてないかなぁ?」
「月曜日?」
「そう。その日、うちのお店、定休日なんだよね。だから、みのりちゃんの魅力を最大限ひきだす髪形にカットしてあげるよ」
「……え? え?」
「じゃあ、今度の月曜日に。じゃあね、またね!」
 そういうと、あの人は笑顔で帰って行った。
「……月曜…日」
 これって、一体……。
 あまりの展開の早さに、私は暫くぼぉっと佇んでしまっていた。――――気がつけば、あたりは一面の夕焼けで、ヒグラシが鳴いている。
「……って、ええぇぇーー!!」

 夕暮れの空に、タイミングをはずしまくった声が、響き渡っていった。

  

4.


 あの人と約束した月曜日がやってきた。

 ……とはいえ、「じゃあね、またね!」としか約束してなかったわけで。結局のところ、いつものように待っているしかなかった。
 いつもと違うとところと言えば、服装。いつもはバイト中だから巫女服なんだけど、今日は白いワンピース。
 いつもと服装が違うだけで、いつもよりもドキドキしている私がいた。
「みのり…ちゃん?」
 そのとき、遠慮がちの声がかかる。――――あの人の声だ。私は、意識してゆっくりと振り向いた。
「……ああ、やっぱりみのりちゃんだ。ゴメンね、待った?」
「ううん、今来たとこだから…」
 出来るだけこの気持ちが映らないように、淡白な返事を心がけたつもりだった。
「……ぷっ」
 それなのに、あの人は突然我慢できないと言うように、笑い出してしまった。
「アハハハハ……いいねぇ、みのりちゃん。ナイスだよ」
「……?」
 私は、そんなに可笑しな事をしたのだろうか。それとも、そんなに似合っていないのだろうか。――――このワンピースはお気に入りだったんだけどなぁ。
「でもね、惜しい! 76点!!」
 ――――はい? 76点? 一体何が?
「服装まで演出してみた努力は買うけど、肝心なものが抜けてるよ、みのりちゃん」
 ――――はい? 肝心なもの? 一体何が? 
 さっきからずっと頭に疑問符を浮かべ続けている私の頭を撫でながら、あの人はきっぱりと言い切った。
「もっと『恥じらい』を演出しなきゃ。これじぁ、単なる彼氏彼女の待ち合わせみたいで面白みが無いよ」
「………おも…しろみ………」
「あぁ、もう、解ってないなぁ。だからここは突っ込むところなんだけどなぁ…」
 いや、別に私はウケを狙ってたわけじゃないんですけど……。なんと言うか、さっきまでドキドキしていた自分が、馬鹿みたいに思えてきた。
「あははは…じゃあ、行こうか」
 あの人はさりげなく私の背中を押して、出発を促した。その優しい手の感触が、少し、寂しかった。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 

「アハハハハ……いいねぇ、みのり。それナイス!」
「いや、榛奈まで笑わなくっても……」
「いや、だってさ、何かみのりが『ううん、今来たとこだから…』なんて恥らいながら言うところを想像したら、おかしくって……」
「……私だって、女の子だよ?」
 「信じられないー」とか「この世の終わりだー」なんていっておなかを抱えて笑っている榛奈に、軽めのチョップをお見舞いする。
「あははは…ごめんごめん。でも、私の気持ちも分かるでしょ?」
 目に涙を浮かべている榛奈。――――まぁ、中学生の頃の私を知っている人からすれば、おかしいんだろうなぁ、なんて納得してしまう。
「だって、昼間の溝口さんとのやり取りを見てたら、『あぁ、みのりはやっぱりみのりなんだなぁ』って思ってたところだったのに…」
「……私なんだなぁって、なに?」
 なんとなく想像はついたが、敢えて聞いてみた。
「冷血非情のスナイパー」
 打てば響く鐘の音のように、微塵の躊躇いも無く返ってきた言葉。
「榛奈……あんた私のこと、どう思っているのよ」
 分かってはいた事なんだけど、がっくりとしてしまう。昼間、結城君には『その悪魔っぷりは、紛れもなく神明さんです』って言われちゃったし……。
 そんな私を見て、榛名は一言「どんまい」と言った。――――榛奈、それ、私の……。

 もう、何がどうなっても、いい気がした。半ばヤケになって、続きを話す。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 

「はい、到着〜! ここが僕の働いているお店」
「うわぁ……」
 歩くこと20分。いつもならあまり来ることのない方向の住宅街の一角に、その店はあった。
「へーっ、こんなとこにこんなおしゃれなお店があったんだ……」
「あははは……この春開店したばっかりだからねぇ。知らないのも無理はないよ」
 そう笑って言いながら、ドアの鍵を開けている。
「あれ? ひょっとして……」
「そう、実は僕が店長。――――といっても、従業員は、僕以外に2人しかいないんだけどね」
 そういいながら、ドアを大きく開け放つ。
「――――いらっしゃいませ、みのりお嬢様。どうぞ、こちらへ」
 私は、くすくすと笑いながら、店の中に入っていった。
 店内は、こぢんまりとしてそれなりにセンスがよく、“心地よい”空間になっていた。
 私がきょろきょろと店内を見回しているうちに、あの人はすばやくカットの準備を終わらせていた。
「では、こちらに」
 まるで執事のように丁寧に、そして大げさにお辞儀をしている。
「私は緊張を押し隠して、椅子に座っるのであった。まる」
 くすくすと笑いながら、チラッと本音を混ぜる。
「大丈夫。きっと今以上に、綺麗になれるよ」
 優しく微笑みながら、あの人は鋏を手にする。そしてその瞬間、今までのふざけた雰囲気は消えて、プロの顔つきになる。
 丁寧に髪をくしけずりながら、優しい声で、聞いてくる。
「思い切って、ばっさりと切っちゃおうと思うんだけど、いいかな?」
「……お任せ…します」
「うん、まかされた」
 ……さようなら、今までの私。私は今日、少しだけ大人になるね……そんなことを考えながら、静かに目をつぶる。
 ――――そして、初めの一房が、切り取られた。 
 優しく触れる、手の感触。静かに、でも凛と響く鋏の音。
 私はこの空間に、いつまでも漂っていたいと、心から思った。いつまでも、このまま、一緒に……。

「はい、終了。どうかな?」
 その声がかかるまで、どのくらいの時間が経過したのか判らなかった。
 あの人の、優しい手の感触を感じているうちに、カットは進んでいき、そして終了した。私は恐る恐る目を開けてみた。
「……!!」
 鏡の中には、私じゃない私がいた。
 肩までの、ロングヘアー。白い、ワンピース。全体的に少女のような雰囲気で、しかし大人っぽさをも秘めている。
 そんな、別人のような私が、いた。
「気に入って、もらえたかな?」
 私は、ただもう言葉が出なかった。だから、今のこの気持ちを伝えようと、精一杯うなづいた。何度も、何度も。
 そんな私を見ながら、まるで天使のような微笑で、あの人は言った。
「よし、みのりちゃん、神社に戻って、撮影会と行こうか」
 私は、精一杯うなづいて、賛成の意思をあの人に伝えた。

「うわぁ、もうこんな時間だったんだー」
 外に出てみてびっくりした。なぜなら、あたりはもう夕方になっていたから。
「あぁ、ちょうどいいロケーションかもしれない。急ごうか、みのりちゃん」
 そういうと、あの人は私の手を握り締め、そして駆け出した。
 私は慣れないパンプスに足をとられながらも、必死についていった。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 

 夕焼けに染まる、神社の境内。辺りには子ども達の姿はなく、ヒグラシの声が響いている。
「いいねぇーみのりちゃん、よし、次はくるっと回りながらこっちを見てみようか」
 一眼レフのデジカメを構えた彼の注文に応じて、私は様々なポーズをとった。
 ――――石段に座った。木の陰から覗いた。手を後ろに組み、空を見上げてもみた。
 何枚かの写真をとり終わった後、あの人は、こういった。
「よし、じゃあ、次はいよいよ本番。巫女服に着替えてみようか」
「……えっ?」
 私は一瞬、耳を疑った。――――いよいよ本番って、何?
 思わずあの人を見つめてしまった。
「あははは……、ゴメンゴメン、いきなりすぎたよね。大丈夫、別に着替えているところを撮る、って言うわけじゃないから」
 あの人は、当然だといわんばかりに、サラッと言った。
「僕はこの石段に座って待っているから、着替え終わってから来てくれればいいから」
 今ひとつ釈然としないものを感じつつ、私は服を着替えてきた。そして、その後も何枚かの写真を撮った。

 撮影は、程なく終了した。
「今日はありがとう、みのりちゃん」
「……いえ、こちらこそ、ただでカットしてもらっちゃって」
「いえいえ、こっちこそ、おかげで良い写真が撮れたよ」
「あっ、その事なんですけど……」
「ん? なんだい?」
 私はさっき疑問に思ったことを聞いてみることにした。――――分からないなら、聞くしかない、よね。
「さっきの、“本番”って……」
「あぁ、言葉の通りだけど?」
 あの人は、『何をいまさら』といった感じでこう答えた。
「いまごろ、街をちょっと探せば、可愛い子なんてゴロゴロしている。――それこそ、掃いて捨てるほどにね」
 あの人は、相変わらず天使のような微笑で、そう言い放った。
「みんながみんな、どこかで見たようなファッションに身を包んで、それが個性だと思っている。でも、そんなのは、まやかしでしかない」
「………………」
「その点、みのりちゃんは、すごいと思う。どこのファッション誌に載っているわけでもない、言ってみれば“ただの”巫女服を、違和感もなく着こなしている」
 この人の、考えていることが、だんだん分かってきた様な気がした。
「最初に会ったときから、何ていうか『これだ!!』って感じだったんだよね」
「……そうだったんですか。……あぁ、もう遅いですから、私、これで失礼・・・します」 
 かろうじて、笑顔で言うことが出来たと思う。こんな人の前で、絶対に涙なんて見せるものか。
「あぁ、そうだね。それじゃあね、みのりちゃん、色々、楽しかったよ。バイバイ」
「……さようなら」
 いつもなら『またね』といっていたあの人が、今日は『バイバイ』といった。――――本人は、気付いていなかったようだけど。
「……私、バカみたい…」
 そう呟いて見上げた空は、星がとても綺麗だった。

 家に着くとすぐに、私は『気分が悪いから』と自分の部屋へと直行した。
 気分が沈んで嫌になる。
 ふっと、引っ越してくる前に住んでいた星野の親友の顔が目に浮かんだ。
 元気で、愛らしくて、どんなに辛いことがあっても、笑顔でい続けようとする彼女。そんな榛奈の髪形でも真似すれば、私も元気になれるかもしれない。
 幸い、ほんの少し切るだけで、ショートヘアーになれる……。

「なんか・・・髪が短いような・・・? ってか、切りすぎちゃったかなぁ」
 自分で切ったため、少し切りすぎてしまったのだろうか。手鏡を覗き込みながら、確認してみる。
「……っっ!」
 髪をカットしてくれてた時の、あの人の手の優しさが思い出されて、思わず涙が浮かぶ。
 いけない。泣かなくてもいいように、髪を切ったのに。………………でも、今晩だけは、いい…よ、ね。
 私は布団に顔を埋めて、泣いて、泣いて、泣き続けた。

――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 

「……興味本位に聞いちゃって、ゴメンね」
 榛奈は、そういって謝ってくれた。でも、私は後悔していない。むしろ、話せる事になっていることが確認できて、嬉しかった。
 私は、しんみりしてしまった雰囲気を振り払おうと、わざとはしゃいだ声を上げた。
「結局さー、その人ってば“巫女服”が目当てで近づいてきたんだよー!? もう、信じられない」
「みのり……」
「もうね、“男なんて、信じないー”って感じになっちゃってさ。……でもね」
 私は、その後のことを思い出すと、自然に微笑んでいた。
「でもね。だからこそ、溝口さんと出会えたんだと思うんだ……。飾らない、素に近い私を見てもなお、好きだって言ってくれた人に……」
「……はいはい、ごちそうさま」
 あきれたような声をだす榛奈。私はもちょっと恥ずかしくなって、ことさらはしゃいだ声を上げた。
「さぁって、次は榛奈の番だよ」
「ええぇぇー!!」
「ほらほら、早く早く……」


 大好きで大切な親友と。色んなことを話して。色んなことを聞く。――――男の子達には、ナイショの時間。
 夜は、まだ、これからだもん。ね、榛奈!!
   

  

そのさん。「初恋?番外編〜男たちの夜」

  

「………………」
「………………」
 お互い、一言も発しない。

 同じ部屋で寝ていると言うのに、全くもって会話がない。
 隣の――――はるねぇの部屋からは、ときおり「やだー」だの「うそー」だのと楽しげな声が聞こえてくる。
 でも、壁一枚隔てたこの部屋には、沈黙が支配している。

 「「………………はぁ」」

 思わずついた溜息が、シンクロした。そのぴったりと合った溜息に、思わずついた相手――溝口さん――の方を見た。
 彼の方も、びっくりとしたような顔でこちらを見ていた。

「「………………………………………………………………………………………………」」

 そして、そのまま無言の時が過ぎる。まるで、相手の出方を伺っているかのような、妙な緊張感が感じられる。
 ――――均衡を破ったのは、溝口さんだった。
「…………その、結城君。すまないな」
「…………? 一体何のことです?」
「いや、昼間のことさ。なんかみのりの勢いに押されて、記念撮影までしちゃったじゃないか」
 そう言うと溝口さんは起き上がり、頭を下げてきた。こちらもつられて起き上がり、頭を下げる。
「……いえ、それならお互い様です。こっちこそメイド服なんか着せてしまって、スミマセン」
「あぁ、それは仕方ないさ。って言うか、明らかにそのつもりでみのりは俺を連れてきたんだろうし」
「いえ、でも……」
「大丈夫。慣れているからさ」
「……女装が、…ですか?」
 溝口さんは、がっくりと肩を落とした。
「結城君も言うねぇ。さすが、みのりの知り合いなだけはあるね」
「いえ、そんなつもりは……スミマセン」

 そしてまた、話題が途切れてしまった。今度はお互いが起き上がっているだけに、よけいに場が持たない。

「「………………………………………………………………………………………………」」

 ――――沈黙に耐えられなくなって、均衡を破る。

「お仕事は何をしているんですか?」
「ただのしがないサラリーマンさ」
「………意地悪、ですか?」
「……少しね」

 そしてまた、話題が途切れる。

「「………………………………………………………………………………………………」」

 ――――沈黙に耐えられなくなって、どちらかが均衡を破る。そしてすぐに話題が途切れる。それを何度も繰り返す。

 突然、隣の部屋からはるねぇの声が響く。「信じられないー」とか「この世の終わりだー」なんていう声とともに、笑い転げる声がする。
 ――――――あぁ。あっちは楽しそうだなぁ。いいなぁ。
 何て思ったときだった。
「行きたかったら行ってくれば?」
「っ……!?」
 一瞬、考えていることがばれたのかと思った。――――さすが神明さんの彼氏だ。
「俺に気兼ねすることはないよ?」
「……そういう溝口さんは?」
「いや。俺は遠慮する。行ったら確実にヤラレル。俺はまだ逝きたくないのでね」
 レバニラ炒めだけはもう十分だと、虚ろな笑い声を上げる。
 溝口さんは「レバーとニラだけは、どうしても食えない」そうなのだ。
 でも、夕食時にはその食べられないはずのレバニラ炒めを、笑顔の神明さんに「はい、あ〜〜ん」と食べさせてもらっていた。――――――下顎をがっちりと左手でホールドされながら。
 恋人同士がおこなう、「はい、あ〜ん」というシーンへの甘い夢や幻想を、完膚なきまで叩きのめされた瞬間だった。

「……ねぇ、溝口さん。一つ聞いてもいいですか?」
「なんだい? 俺で答えられることなら、なんでも」
 聞きたかった事を、思い切って聞いてみる。
「溝口さん。……不躾だとは思うんですが、神明さんの何処がよかったんですか?」
「確かに、いきなりな質問だね」
「……スミマセン。でも、どうしても、聞いておきたくて」
 正直に告げて、頭を下げた。でも、どうしても聞いておきたかったのだ。『あの』神明さんの、何処が。
「……逆に聞こうか。結城君は、どうなんだい?」
「……僕……ですか?」
「そう。君ははるねぇの……失礼、榛奈さんの何処がよかったのかな?」
「それは……やっぱり」
「いや、別に言わなくてもいいよ。答えが聞きたいわけじゃないんだ」
 答えようとした矢先に発言を遮られてしまい、少々戸惑ってしまう。聞きたいわけじゃないのなら、なぜそんなことを尋ねたのだろう。
「……スミマセン、言いたい事がいまいち解らないのですが」
「君が今答えようとしていたその言葉が、俺への質問の答えだということさ」
「マジ……ですか?」
「おや? まさか結城君、先ほどの答えはとても本人には言えないような内容だったのかい?」
「いえ、そんなことは。……でも正直、僕には神明さんに対してそういう風に思うことが出来ないので」
「それはお互い様だと思うよ? 多分俺も、君が考えた答えのようには榛奈さんの事を思えないと思うよ」
「………意地悪、ですか?」
 何だが禅問答のようなやり取りに、「はぐらかしているのではないのか」ということを思わず疑ってしまう。
「いや? 至って真面目に答えているつもりなんだが」
「つまりは、神明さんに対する“愛”ということですか?」
 ――――愛しているがゆえに相手のすべてが愛しい、そういう事なのだろうか。
「おっと、そう来たか……。まぁ、確かに“恋”ではないだろうけどね」
 そういうと、溝口さんはニコッと意地の悪そうな笑みを浮かべた。……瞬間、神明さんの笑みが重なった。
「だがね、結城君が考えていることは、“愛”ではなく“恋”なんだと俺は思うよ?」
「…………その根拠を聞かせてもらってもいいですか」
「今君は、『愛しているがゆえに相手のすべてが愛しい』とか考えなかったかい?」
「…………その通りです」
 考えていることがこうも筒抜けだとは。――――やはりあの神明さんの彼氏なだけはある。
「でも、なぜそれが“愛”ではなく“恋”なんですか? “愛しい”って“恋しい”とは違いますよね?」
 そう、そもそも文字にすればしっかりと“愛”と書かれているじゃないか。それがなぜ違うというのだろう。
「確かに、違うね。……でも、“愛”や“恋”って一体何のことなんだろうね」
「……それは、その……『“恋”は下心、“愛”は真心』って言うじゃないですか……うまく言えないんですけど」
「うんうん。それで? 続けて続けて」
「……それでって……その……だから、自分のことしか考えていないのか、相手のことを第一に考えているか、で……」
「なるほどねぇ……。結城君はそう考えるわけか」
 なんとなく馬鹿にされたようで、カチンと来た。思わず、語気が荒くなる。
「なら溝口さんはどうなんです?」
「俺? そうだな……『“恋”は下心、“愛”は真心』ってとこまでは一緒かな。ただ、その後の展開が違うな」
「……展開?」
 思ってもみなかった表現が出てきて、気勢がそがれてしまう。……何というか、それこそ話の展開がつかめない。
「あぁ。……“恋”って漢字。あれは“心”がその上をすべて支える形で出来ているじゃないか」
「はい、『下心』ですね」
「そうだね。だから自分のことにしろ相手のことにしろ、その“おもい”をすべて“心”で支えている限りは、それは“恋”なんじゃないのかな」
「……すべてを、支えている限りは……恋、ですか」
「あぁ。君の表現を借りるのならば、自分のことしか考えていないのが恋に恋している状態、相手のことを第一に考えているのが恋、かな」
「……じゃあ、“愛”は?」
「“愛”って漢字。あれは“心”がその上を支えてはいるものの、足元に踏みつけているものもあるじゃないか」
「……踏みつけてるって……まぁ、そう取れなくもないですが」
「だからさ、許せることもあるけれども、絶対に許せないこともある」
 例えば、嫌いなものを無理やり食べさせるとかね、と苦虫を噛み潰したような表情で語る溝口さん。――――そうか、やはりアレは許せない行為なのか。
「……でも、許せないと切り捨てるのではなく、それを内包してなお続けられるもの……それが“愛”なんじゃないかな」
「許せないけど、許せる……ですか?」
「違うね。許せないけど、我慢できる、さ」
「我慢……愛って、我慢することなんですか」
 また思ってもみなかった表現が出て来た。
「そうさ。本気で人を愛すればするほど、辛くて、痛くて、しんどくて、それでも止められない、止めようとも思わない……そんなものさ」
「…………それって、溝口さんがただのマゾなんじゃ……」
 思わず本音が出てしまった。
「そうかい? でも、考えてごらんよ。君は榛奈さんに対して、嫌な事とかって無いかい?」
「それは……」
 思わず考え込んでしまう。
「あぁ、別にどんな事かは言わなくてもいいよ。有るか無いかだけが聞きたいんだ」
「無くは……ないです」
「だよねぇ」
「でも……僕はそれを、許します」
「だよねぇ」
 なんだかまた禅問答じみてきた様な気がするので、逆に聞いてみた。
「……溝口さんは、許さないんですか?」
「いや? 当然許すさ」
「じゃあ、やっぱり……」
「でもさ、同じ事があったら、やっぱり嫌だろう?」
「そりゃあ、そうです」
「一度は許したのに?」
「…………それは……」
「そういうことだと思うよ。それは“我慢している”んだよ」
「なんか……よく分かりません」
「甘えて、甘えられて。支えて、支えられて。許して、許されて。我慢して、我慢されて。そういったことが出来る関係」
 溝口さんは、優しく微笑みながら隣の部屋のほうを見ていた。
「そういったことが、ことさら意識することも無く出来る関係にあるのならば、それが“愛”なんじゃないかな」
 ――――まぁ、俺の勝手な自論なんだけどさ、と溝口さんは呟いた。
「なんか、判る様な解らない様な……」
「わかる必要は無いさ。……っていうか、“恋”と“愛”の違いだなんて、その本人にしか分からないんだと思うよ」
「本人……にしか?」
「うん、そう。“恋”や“愛”の形なんて、それこそ十人十色なんじゃないかな。……だからこそ、その違いは千差万別なんだと俺は思うね」
 答えになっていなくて悪いね、と溝口さんは笑っていった。
「さて……と。難しい屁理屈を聞かせたお詫びに、いい物を見せてあげようか」
「……?」
「隣の部屋さ。……もちろん、来るだろう?」
 そういうと、溝口さんはにっこりと笑った。
 その有無を言わせない雰囲気に、なんだか神明さんとの共通点が垣間見えた気がした。もちろん、断る気は無かったが。


――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *――――――――* * *―――――――― 


 そーっと部屋を出て、足音を立てないよう静かに隣の部屋の前まで行く。
 部屋の中からは、「ねぇ、もう止めようよ? はるなぁ〜」という神明さんのあきれた様な声が聞こえる。
 ――――――? 一体中で何が起こっているんだ? そんなことを思っていると、いきなり溝口さんがドアを開けた。
 部屋の中の空気が一瞬にして固まったのが分かった。
「「「み・溝口さん?」」」
 三人の声が綺麗に重なった。
「……ふむ。そんなにコスプレがしたかったのなら、昼にやればよかったのに」
 溝口さんの呟きに、部屋の中を恐る恐る覗き込んで見ると、そこには制服姿の二人がいた。
「何処がコスプレなんです? 単に制服を……」
 といってから気が付いた。……なんではるねえがブレザー姿なんだ?
「みのり……その髪形もかわいいじゃないか」
 溝口さんのその言葉を聞いて、神明さんの顔が瞬間的に真っ赤に染まる。
「な、結城君。かわいいだろう?」
「そ・そうです……ね」
 ――――いや、ほんとに。まさか真っ赤になってテレまくる神明さんがこんなにもかわいいだなんて……。
 と、なぜかじと〜っとした視線を感じる。しまった、はるねえ……。
「それに榛奈さん? その制服に素足はちょっと……。結城君なんか刺激が強すぎてまともに見られないようですよ?」
 溝口さんのその言葉を聞いて、はるねえの顔が瞬間的に真っ赤に染まる。ナイスフォロー……といえるのか?
 そう思った瞬間、勢いよく枕が飛んできて溝口さんの顔面に激突した。続いて、もうひとつがこっちに。
「何よこの出歯亀! エッチ、変態!! 私だって素足なんだよ生足なんだよ!?」
 ……いや、だからどうだって言うんです、神明さん。何気にパニクッてませんか?
「そうだな。……だから俺としてはみのりをさらっていこうかと思うのだが……」
 あぁ、なんか真っ赤になってじたばたしている女性陣二人を見ると、こう愛おしさが沸いてくる。
「まぁ、結城君に免じて止めておくとするよ」
 そういいながら、溝口さんは部屋の中へと入っていって、どっかりと座り込んでしまった。
「ほら、結城君もそんなところにいつまでもボーっと立っていないで座った座った」
「……ってか、溝口さんがそんなこというなー!」
 神明さんのチョップをまともに受けた溝口さんは、頭を抱えて悶絶している。……いや、笑っているのか?
「まったく……なにやってんですか。いい年した大人が」
 そういいながら、おろおろと二人をみていたはるねえの隣に座り込む。
 なんとなく今晩のはるねえは、いつにも増してかわいいような気がする。……いや、何を考えているんだろう。
「で? 何でコスプレをはじめたんだ?」
「それは榛奈が……ってか、やっぱりコスプレなのかなぁ。うぅ〜」
 真っ赤になりながら、上目遣いで溝口さんを見上げている神明さん。
「わぁ。私、みのりのこんな姿って初めて見たかも……」
 ボソッと呟くはるねえ。……そうか、はるねえも見たことが無いのか。
「で? 理由を聞かせてくれるかな? 大丈夫、夜は長いんだから、じっくりと聞こうじゃないか」
 あぁ、そうですか。居座っちゃう気ですか。……ならとことん付き合うとしますかね。
 はるねえに苦笑して見せた後、「で、どうでした? コスプレした気分は」なんて神明さんに突っ込んでみる。
 ――――神明さんに突っ込めるなんて滅多に無い機会なんだから、さ。そうはるねえに目配せをしてみる。
 ……通じなくても、それでいいと思った。通じなくて、やきもちを焼かれて、誤解が生じてしまっても、いいとすら思った。
 それでも、多分、はるねえを許せるだろうし、はるねえも、きっと我慢してくれるはず。
 ――――あぁ、溝口さんは、この事を言いたかったのかもしれない。なんとなくそう思った。


 大好きで大切な人と一緒に、照れたり、はしゃいだり。色んなことを話して。色んなことを聞く。
 ――――親には、ナイショの時間。
 夜は、まだ、これからだから。なんてことを溝口さんがいい、はるねえがそれを肯定する。
 楽しく愛しい時間は、まだこれから。

 4人の歓声は、静かに、そしていつまでも響いていた。