看病するはるねぇ

  

そこは、何もない真っ暗な世界だった。
何も無い空間で、俺は意識だけを保っている。
夢と現実の狭間(はざま)なのだろう。とにかく、居心地が悪く体が重い。
「最悪だな……」
と、小さくつぶやいた。

 「ゆうちゃん、起きろーーー! 準備再開だーーー!!」
ベッドの上どころか、俺の被っている布団の上にまでのりかかってきたはるねぇによって、俺は現実の世界に連れもどされた。
しかし頭はボーっとし、相変わらず体は重りが乗っているかような重量感に支配されていた。
昨日からほとんど何も食べていない状態で、空腹とはるねぇの体重の腹部圧迫により、それは吐き気に変わっていく。
 「は……はるねぇ……!!」
 「おはよー、ゆーちゃん♪ 今日もガンバろーね!」
 「おはよーじゃ、ねー…………」
限りなく、俺の悲鳴に声の力はなかった。
昨日に引き続き、目覚めの気分は最悪だった。


昨日。
クリスマスが終わり、和泉家では新年の準備がはじまる二十七日。
俺は最高に最悪な体調で朝をむかえていた。
その時の睡眠はとても質のいいものとは言えず、一晩中長くて二時間、短くて三十分ごとに目を覚ました。
起きる度に体調が悪くなり、頭も重くなって、のども渇いていく。
これは本格的にヤバイと思い、立秋さんの軽トラで、朝一に病院に行った。

結果、病状を聞いた医者から宣告された言葉は「多分インフルエンザでしょう」だった。
ここ数年全くインフルエンザにかかったことのなかった……いや、むしろインフルエンザにかかった記憶がない俺は、
この時期を完全になめていた。
自分とは無関係だとばかり思っていたが……ついにやられたらしい。
宣告後「詳しい検査」(とても生徒会長には言えない事)をされ、結果は三十分くらい後には分かるとのこと。
体のだるさと頭を動かすと来る頭痛の中、なんとか二十数分待ったが、結果はやはり陽性だった。

その日一日食欲が出ず、ほとんど何も食べられなかった。
ちなみにはるねぇは、お節の材料の買出しで伯母さんと一日留守で、はるねぇが帰ってきたとき、既に俺は寝ていた。


 「ゆ、ゆうちゃん大丈夫っ!!?」
はるねぇは心底驚いたように、思いっきり体重を腕に乗せて、その腕を俺の肩に下ろした。
 「ぐぇ……は、はるねぇ、大丈夫か聞かなきゃならんような奴の上で暴れるな……」
 「うわぁ、ごめんねゆうちゃん!!」
そーっと俺の上から降りたはるねぇは、そのまま階段を駆け下りながら
 「おかーさーん、ゆうちゃんが死んじゃうーーー!!」
と叫んでいた。

 「もう、何でインフルエンザだって言ってくれなかったの、ゆうちゃん」
 「は? ……立秋さんから、聞いてないか……」
 「そんなこと聞いてないよー。帰ってきて『ゆうちゃんは?』って聞いたら『寝てる』としか言ってくれなかったから……。
  てっきりお正月の準備で疲れたんだと思って」
立秋さん、説明不足です。おかげで朝から死にかけました。
 「そっかぁ、それじゃ今日は準備できないね」
 「そうだな……」
はるねぇがベッドのすぐそばに座り、考える仕草をする。
しかしすぐに何かを思いついたような笑顔になり、立ち上がると俺に
 「ちょっと待っててね、すぐ戻ってくるから」
と言うと、また階段を駆け下りていった。
はるねぇがいなくなり、静かな空間となった俺の部屋。
病人の部屋であれだけ騒ぐはるねぇは、いくら何でもちょっと邪魔だ。
せめてもう少し静かになれないものかと、ボーッと考えていた。
今朝も寝たり起きたりを繰り返していたからか、それとも体がだるいからか、俺は再び浅い眠りの中に落ちていった。

ドアの開く音がした。それが夢なのか現実なのかは良く分からなかった。
しかしすぐに、遠くで俺を呼ぶ声がした。
目を開けると、そこには満面の笑みではるねぇが立っていた。
その手には、湯気の立っている茶碗と、木のスプーンが握られている。
 「おかゆ作ってきたよ。食べれそう?」
俺の勉強机の椅子に座ったはるねぇは、さっきとは違い静かで落ち着いた口調だった。
 「ん……少しな」
 「それじゃぁはい、あーん」
言ってはるねぇはおかゆをすくったスプーンを俺の口元に近付ける。
 「……いや、それはいい」
普通に渡してくれれば食べるのに、はるねぇはわざと恋人同士の演出をしたがった。本人はとても楽しそうである。
 「えー、それじゃどうやって……あー、もう! それならそうと先に言ってくれれば良いのに♪」
更に楽しそうに言うと、少し顔を赤くしてはるねぇは……そのスプーンを自分の口に入れようとした。
 「何……してる?」
 「えー、だってほら、口移しで食べさせて欲しいんでしょ?」
 「……うつるぞ」
どこかつっこむ場所が違う気がするが、それはきっと頭がボーっとしているせいなのだろう。
それでもはるねぇはひかない。
 「だいじー。わたしは予防接種してるもんー」
 「じゃあせめて……食べさせるだけにしてくれ」
俺におかゆを食べさせている間、はるねぇは子供のような満面の笑顔だった。
二口に一度は「おいしい〜?」と言うし、俺の口のそばに付いたご飯粒はつまんで自分で食べるし。
それに比べて俺は、そんなはるねぇの仕草につっこむ気力がなく、鼻づまりからか溜息に近い呼吸をしていた。正直、かなりしんどい。
他人が見たら、微笑ましくはあるが、不釣合いな部分もあるのだろう。特に俺が。

食べ終わった食器を片付けた後、はるねぇはまた戻って来て、俺に薬を飲ませ、体温を測っていた。
 「もういいって……。いくら注射してても、うつるぞ……ゴホッゲホッ」
おかゆを食べ終わった辺りから、セキも出るようになっていた。
これでは余計に、はるねぇにうつってしまう可能性がある。
 「ダメだよー。わたしはゆうちゃんが治るまで看病するって決めたんだから」
 「今は忙しいだろ、手伝ってこいよ」
 「心配しなくていいよ。準備はおじいちゃんたちがやってくれるから」
こっちはうつさないようにはるねぇを遠ざけようとしているのに、本人はやる気満々らしい。
 「ゆうちゃんがわたしの看護人生最初の患者さんなんて、運命だよねー」
看護学校に進学する前からその気になっているあたり、かなり決心は固いようだが……。
 「はるねぇはどっか行ってろ、うつるだろ。それに……寝かせてくれ」
 「ノープロブレム。わたしが寝かせてあげるからね!」
はるねぇは俺の布団の上に手をのせて、一定のリズムで軽く叩き始める。まるで小さい子供を寝かしつけるように……。
まあ、うるさいよりははるかにいいので放っておく。

いつも一人で寝ているからか、それとも体調が悪いからか。
寝る時に誰かがそばにいてくれると感じると、高校に入った今でも、どこか安心してしまうものだ。
手のリズムがどこか懐かしく、優しさが伝わってくる。体のだるさも、ずいぶんとやわらぐ感じがする。
この感触にまだ出逢える俺はきっと幸せなんじゃないかと、少しずつ薄れる意識の中で感じていた。
そして、久しぶりに深い眠りに落ちたんじゃないかと思う。

しかし

 「ゆーちゃーん、ごはんだよー」
心地よい眠りの世界から俺を引きずり戻したのは、その世界に俺をいざなった本人だった。
 「んー? まだいい……」
 「ダメだよ、お薬の時間は守らないと治らないよ?」
はるねぇが持ってきた昼食は、またおかゆだった。
 「しょうがないよ、朝に作りすぎちゃったんだから」
笑いながら言い訳をするはるねぇ。まあ、今の体調でこれほど食べやすいものはない。
ふとはるねぇを見ると、なにやら目を輝かせている。
 「ねぇゆうちゃん」
 「ん……?」
 「口移し?」
 「新年を床に伏せた状態で迎えたいならいいが」
 「……やめとく」
少し残念そうに、子犬のようにうつむく。全く、進歩のない姉だと思う。
そこがまたいいのかも知れないと考えて恥ずかしくなるのも、自分に進歩が無い証拠かも知れない。
幸い、熱で少し顔が赤くボーっとした表情なので、その思考が読まれることは無かった。


この日は、結局食べては寝て、寝ては食べてと、それ以外何もない一日だった。もしかしたら、一番症状がひどい日だったかも知れない。


次の日 十二月二十九日。
またはるねぇに朝食を食べさせてもらった後、薬を飲む。
 「それじゃお休み、ゆうちゃん。さっき起きたばかりだけど」
 「……いや、寝れそうにない」
 「えー、ダメだよ寝なくちゃ。治らないよ」
 「いや……寝なくても治ると思う。それに、ちょっと寝すぎたんだよ」
実際、もう丸二日近くベッドの上にいる事になる。さすがに体調もある程度整ってきて、ほとんど眠くなくなっていた。
 「もー、しょうがない子だなぁー。お姉ちゃんがお話してあげるから、いい子で寝ようね」
どうもはるねぇは、インフルエンザにかかっている俺を子ども扱いしているようだ。
それをどうこう言う気がない俺は、ただはるねぇの話に耳を傾けていた。

 「わたしね、ゆうちゃんも知ってると思うけど、病弱だった……今もかな?
  そうだったんだけど、病気になるといつもお母さんが付っきりで看病してくれたの。
  おじいちゃんは畑から野菜を取ってきてくれて、おばあちゃんはその野菜でおかゆとか雑炊を作ってくれたんだ。
  安静にしてなきゃいけないのは分かるけど、お薬が効いてくると眠れなくなっちゃうんだよねー、体が楽になるから。
  わたしが起きようとすると、いっつもお母さんに押さえつけられ『寝てなきゃダメでしょ』って怒られてたっけ。
  それで、わたしが寝るようにお話してくれたり。
  体が弱いって大変だったよ。今みたいにあんまり外で遊べないのに、お兄ちゃんは学校から帰って来るとすぐどこか行っちゃって、
  羨ましく思ってた。
  でも、病気になるといつもみのりが遊びに来てくれてたから、寂しくはなかったけどね」

そこには、俺の知らないはるねぇがいた。
俺が和泉家に来てからはるねぇが大きな病気をしたのは、去年の声帯麻痺だけだと思う。
それより前のはるねぇは、俺が想像しているよりもずっと病弱だったのかも知れない。

 「んー、今思うとゆうちゃんがこっちに遊びに来るときも結構風邪とか引いてたよね。
  そんな時は一緒に遊べなくてそのまま帰っちゃうから、悪かったなって思ってたんだよ?
  やっぱり、あの頃はこっちでいい思い出なんて無かったよね……」
 「そんな事なかったぞ」
 「そう? でも今だからそう思うんだよ。あの頃のゆうちゃんは、こっち来るの嫌がってたって聞いたし。
  みのりがいればまた違ったのかもね。でもみのりは夏とかになると都会のおばさんの家に遊びに行ってたからなぁ。
  そうだ、それが羨ましくてわたしもゆうちゃんの家に行きたいって何度もわがまま言ったんだよ」
 「そうなのか? 知らなかった……」
 「そうなんだよ。でも、そっちに行って病気で寝込んじゃったら叔父さん叔母さんに迷惑でしょ? だから……ってごめん、
  あんまりこういう話はダメだよね」
 「いや、別に……。もういいんだ」
 「そう? でも……」
 「いいんだって」
 「うん。……あー、知ってる? みのりってね、すっごいピアノ上手なの」
 「そうなのか? 初耳だけど」
悪魔のように卑劣な事を考えては、俺をはめて遊んでいた神明さんの顔を思い浮かべる。
あの神明さんが、俺の中では音を出すのに、かなり丁寧な指さばきが必要なものと位置づけられているピアノを、
俺の想像通りの音で弾けるのかシミュレートしてみるが、まず無理、と言う結果に達した。
何故かここで、脳内の神明さんが俺を睨みつける。
 「あー、信じてないなー? みのりが彼氏さんと逢ったきっかけも、みのりのピアノなんだって」
それを聞くと、何だかそれが本当のことのような気がしてきた。運命の人を呼び寄せるピアノとは、一体どんな音色なのだろうか。
その時、脳内の神明さんが勝ち誇ったように微笑んでいた。
 「それでね、みのりってば巫女服着てピアノ弾いてるんだってー!」
 「何故に巫女?」
 「おばさんが神社の神主をやってるんだって。それで、その神社のアルバイトの制服が巫女装束らしいの。でーバイトが終わったら、
  お社の中で弾いてるんだって。あーそうそう、その神社って神明神社って言うらしいよ」
 「……突っ込みどころが多くてわけ分からん」
 「あははは、わたしも初めて聞いたときはみのりが何言ってるのか分からなかったよ」

はるねぇが親友の神明さんの話をしている時は凄く楽しそうで、俺も、今まで知らなかった神明さんの素顔を聞けたりして、
結構面白かったりする。
今までは、何かの機会があった時だけに少しずつ聞いていたが、今回はまとまった話を聞けた。
ちなみに、俺を寝かしつけるために始めたはずのこの「お話」は弾みに弾み、昼食の時間になるまで続いた。


その後俺は、午後には一階でテレビを見られるようになり、次の日には正月の準備の、軽いものなら手伝えるようになっていた。


 「さすが、早いね。若いってホントいいよなぁー結城君」
しめ縄を作りながら立秋さんが羨ましがる。どうやら、インフルエンザから回復した早さのことらしい。
しかし、立秋さんも爺臭い事を言うなぁ。
 「はっはっは、立秋くんもまだまだこれからじゃないか」
 「そうですかねー、おじいさん。僕もまだ頑張れますかねー」
 「当たり前じゃないか。早く孫の顔も見たいしな」
 「おじいさん、それは向こうの二人に言った方が早いと思いますよ」
二人からの変に熱い視線を向けられ、俺とはるねぇは無視するように視線を外していた。

 「でも本当に、早く治ってよかったね」
 「はるねぇの看病のおかげ……だろ」
 「えへへ、そうかなぁ……。でもそばにいたのは、それだけじゃないんだよ」
はるねぇが、少し真剣な目で俺を見る。
 「まだ、何かあったのか?」
 「ゆうちゃんは、自分が飲んでたお薬が何か知ってる?」
 「……いや」
 「実はね……タミフルだったんだよ!!」
タミフル……どこかで聞いたことがあったかもしれないが、既に俺の記憶内にはその単語はない。
俺には、はるねぇがそこまで強調する理由がよく分からなかった。
 「タミフル……? 何かあるのか?」
 「あれ、覚えてないの? ほら、去年ニュースであったよ。タミフルを呑んで異常行動を起したり、意識障害を起したっていうのが」
そんなニュースがあったのかと、その時は思った。しかし数ヵ月後、タミフルは日本中で一時話題を集める事になる薬だったのだ。
 「それが怖かったの。ゆうちゃんの部屋は二階だから、異常行動とかで飛び降りたりしないかって……だからずっと見張ってたんだよ!」
 「へぇ……知らなかった」
 「えへへ、結局なーんにもなかったけどねっ」
照れ隠しに笑ったんだというのが分かった。
はるねぇは俺の体調を心配してくれていたが、同時に未知の薬に対しても警戒してくれていたのだ。
それを思うと、嬉しくもあり、くすぐったくもあった。
俺なんて、タミフルという薬がニュースになっていたことすら覚えていなかったと言うのに。

やっぱりはるねぇは俺にとって「強い姉」であり「大切な人」なんだと言う事を、あらためて確認した。

 「ありがとな、はるねぇ」